酔生夢死さんからのコメントにあった、やめた人間に対してしつこく飲酒を誘う酒の亡者。
「俺は酒を辞めた、と何度言っても懲りずに三途の川の向こうから誘って来る亡者どもです。」(一部抜粋)
しゅうさんのコメントにもあった。
『酒を断っているというと「悟りでも開いたの?」「賢者にでもなりたいの?」などなど言われますが、 これからは「蘇生したの」と返答しますw』
断酒した人を揶揄したり、無理やり飲酒に誘ったりする輩は、餓鬼道に堕ちた酒の亡者どもである。
亡者とは、死んで成仏(じょうぶつ)せずに迷っている者。また、比喩的に、ある物に対する執念に憑りつかれている者。酒の亡者は、酒に死んで成仏せずに迷って、酒に憑りつかれている。
酒の亡者どもは、この世をさ迷い、飲まぬ人を、自分と同じ飲んだくれ道に引きずり込むことに、やっきになっている。
こんな風に考えると、寧ろ、しつこく飲酒を勧誘してくる輩は、哀れになってくるのではないか。
私はかつての飲んだくれ時代、確かに酒に憑りつかれていたけれど、飲まない人を無理に誘うような野暮なマネはしたことがない。一番身近に、体質的に飲めないかみさんがいることもあるけれど、そのかみさんを知る以前にも、そんなマネをしたことはない。
飲酒とは、勝手に飲んで自分が酔っぱらっていい気持になれば、それだけで良いわけで、わざわざ飲まない人、やめた人を誘うなんて、つまらない話ではないか。
地獄に堕ちた酒の亡者どもは、確かにこの世をさ迷っている。自分が飲んで酔っ払っているだけでは満足せず、他の人をも同じ道に引きずり込もうとする。もし出会ってしまったら、両手を合わせて、念仏でも唱えて、成仏を祈願してやるのが良い。決してまともに取り合ってはならない。
断酒して、いつもシラフでいることの素晴らしさを知ってしまうと、もう、以前の飲んだくれに戻ることなど、考えるだけで背筋が寒くなってしまうのである。
私は、酒を嫌いになることを心掛けて来たのだが、最近では、酒そのものを好きとか嫌いと言う感情は消失し、酒を飲んで酔うことそのものがとても恐ろしい。かつては、酔うことが楽しみで毎日飲んでいた酒なのに・・・
私にとって酔うことは、酒の亡者になってしまうことだ。ただただ飲酒して酔うことに執念を燃やす亡者。その酔うこととは、一体何なのか、自分に問うてみても、これと言った答えが無い。それでいて酔った結果どうなるのかと言えば、後悔があるのみ。
面白いことに、しゅうさんのコメントから、酒を断つとどうなるかを、酒の亡者(=飲酒をしつこく勧誘する飲んだくれ)が知っていることが分かる。
酒を断つと、飲酒に関しては悟りを開いて、賢者になるのである。
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