アルコール依存症は、回復はしても治癒することは無い。厄介な病ではあるが、断酒によるコントロールが可能である。
それが十二分に分かっているから、長らく断酒が続いているからと言って、私は決して油断はしない。
ブログのネタの仕入れも兼ねて、今でも、日に30分くらいは、アルコール依存のことを調べたり、学んだりしている。これにブログを書く時間を足したら、日に1時間以上は毎日己の病に向き合っていることになる。
どんなことをしているかと言うと、断酒仲間や、重度のアルコール依存患者を抱える家族の方が綴られているブログを読んだり、関連する本を読んだり、思いついたキーワードでネットを検索してみたり...
その学びの最中、たまたま今日は、目を疑うような題名のブログを見つけた。
「アルコール依存は断酒なしで治せる!」
え!(@_@;)
聞いたことがないぞ。アルコール依存は治らない、あるのは回復のみ。回復には、断酒が不可欠じゃなかったのか。
このブログ主の主張は、
1.アルコール依存症は病気ではない。
2.断酒は難し過ぎるし、過激である。
3.断酒ではなく、お酒をうまくコントロールして飲む「制酒」で行こう。
コントロールして飲むことを「制酒」と表現しているが、これは、節酒と同じではないだろうかなどと思いつつ、読み進めてみた。
が...
この画期的なアルコール依存を治す方法=ブログ主が体得した「制酒の技法」を、徐々に開陳してゆくと書かれているが、「その技法1・睡眠間を増やす」、を最後に、ブログは更新されていない。この制酒の技法が、幾つまであるのか知らぬが、是非ともその技法の全てを書いてほしかった。けれども、4年前の秋ごろからこのブログは更新されていない。
私の推測では、
1.ブログ主は、「制酒の技法」によって充実した制酒の日々を送っているので、ブログなどどうでもよくなって、放置している。
2.「制酒の技法」は、ブログ主が体得したと勘違いしただけの幻に過ぎず、アルコールが身体に入ったことによって、元の依存症に戻ってしまったので、続きは書けない。
のどちらかだろうと。
最近では、アルコール依存症の治療において、医師によっては、断酒ではなくて節酒でも良いとの方針の場合もあると聞く。節酒でうまく行く人も中にはいるのだろう。
だが、私は、飽くまでも・頑なに・断固として断酒派である。問題飲酒を解決するには、断酒以外に無い。他の人に勧めるとしても(勧めないけど(笑))、断酒である。
病の元、災いの元がアルコールであることが分かっているのに、何もわざわざ少量とは言え飲むこともあるまいに。未練たらしいこと極まりない。これが、私の減酒やら節酒やら制酒やらに対する考えだ。
「制酒」つまり酒を制するなら、飲むことによって制するのではなくて、飲まないことによって制するほうが真っ当ではないか。
何故ならば、行動をコントロールするのは大脳であって、そこに少量でもアルコールが流入すれば、どんなに立派な技法も、その効果を発揮する前に歪んでしまうから。大脳は、アルコールによって麻痺してしまうから。
ならば、酒を飲むことを前提にするのはおかしい。酒を断つことを最優先にするべきである。
「制酒」・・・以前書いたような気がして、検索したら。3年前の12月に書いていた。興味ある方は、リンク先をどうぞ!
2014/12/5
『ピッチャーは制球力、のんべーは制酒力(断酒1年266日目)』
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