世の中には、お節介な人がいるものだ。
私がこうして書いているブログや、発行しているメルマガ、Twitter、最近始めたコミュニティなどに、何やかやと意見をして来る。
ラーメン屋さんに例えるならば、メニューだけ見て、やれ値段が高いだの、トッピングが貧弱だの、ライスを無料にしろだの、そんな感じかな。
ブログもメルマガもTwitterも、断酒好きの私が勝手に書き発行しtweetしているもの。コミュニティは、心有る方と交流したいから、始めたもの。誰かの指示で動いているわけではない。
(尤も、正直な話、ネガティブ・コメントやら、誹謗中傷メールやら、ブログを通して巧みに近づいて来たやつに詐欺にあったり、他にも様々な問題があって・・・ブログを続けて行く気が失せ、これまで何度もやめたくなったことがあって、その度に、すももにそれを話したら、「酒はやめても、ブログは生きている限り続けなさい!」と、尻を叩かれて続けて来た・・・)
意見してくる人に限って、自分でブログを書いているわけでもないし、確固たる断酒の信念を持っているわけでもない。それに、私と会ったことも、話したこともないわけだから、私はその人の顔も声も知らない。
映画を作る人と、評論家の関係のようなものなのかな。
人のやっていることに、口出しせずにはおられないようだ。
私は、断酒もオリジナルな方法で始めたし、ブログやTwitterはそれに付随しているものだし、メルマガも、やってみたいから始めたものだし、断酒のコミュニティも、以前からやってみようと思っていたものを、始めて見ただけ。
どれも私の断酒のスタンスと同じで、集いたい人が集えば、それで良い。ただ、それだけなのだ。
これを読みなさい!とか、ここに来なさい!とか、これでなければダメ!などと、誰に対しても一切強要したこともなければ、唆したこともない。
お節介の具体的な内容は割愛(!)するけれど、人のやっていることに、あーだのこーだのと、容喙して来る人がいる。
これは、先日取り上げた、ネガティブ・コメントとは違う。私のやっていることに、基本的には賛同しつつも、その人の思惑の通りになっていないことが、気に入らないし歯痒いのだろう。
大体にして、お節介焼きの人の思惑通りに私が行動したら、もはや発信している情報も、私のものではなくなってしまう。
私は、神でも仏でも慈善家でもないので、断酒を志している人を、救うなどと言う大それた考えは毛頭持っていない。仮に救いたいと思っても、酒害者本人に自ら断酒させることなど、神でも仏でも慈善家でも出来ないことだ。
また、ボランティア精神を発揮して、何でもかんでも無料で引き受けるなどと言う発想も、全くないし、そんなことをどこかに書いたこともない。
たまに頂く相談メールにも、返信したりしなかったりであるし、Twitterへの返信もしたりしなかったりであるし、ブログのコメントには、返信する時間がないので、最近は全然していないし。
この辺り、あたかも私がボランティアで何かやっているとか、公共的なサービスかのように、とんちんかんな勘違いをしている人が、お節介を焼いて来るようだ。
私は昔、酒(アルコール)に操られていたけれど、人に操られたことは無いし、今後も自分の頭で考え、自分の足で歩いて行く。
ほんの少し断酒の先を歩いているので、ブログ、メルマガ、Twitter、コミュニティを通して、私はただ、多くの人と断酒の快適さを共有したいだけなのだ。
私がこれまでしてきたことは、自分自身のためであり、家族のためである。もうひとつには、一緒に歩んで下さる断酒仲間に勇気を持ってもらいたいためである。
Going My Danshudo!(我が断酒道を行く!)
これが、これまでも、これからも、私の断酒のスタンスである。
誰かに何か言われて揺らぐことは、絶対に無い。
断酒初年度の夏に書いた記事を見ると、最初から私がこの考えであったことが分かるだろう。
2013/8/26
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