月に一度、日曜日に、近所の大学の公開講座へ、かみさんと出掛けている。
以前も書いたことがあるが、生物多様性について、今日も良い話を聞いた。
例えば、絶滅危惧種の植物があるとして、周囲の植物を刈り払い、その植物ばかり保護しても、ダメだそうだ。
保護するなら、その植物の生育する環境を第一に考えないと意味が無いと。
この話を、断酒に適用するならば、ただ酒を断つ生活をしているだけではダメで、断酒生活の環境を先ず整えることになる。
更に、植物は、どんなに小さくて、足元数センチのところに目立たなく育っているものでも、或いは、ド派手で大きな花を咲かせるものでも、それぞれ個性を持ち、自分の生育環境で生きている。
人間も、それぞれ個性を持ち、考え方も違えば、職業も、性別も、年齢も、生育して来た環境も違う。
だが、酒にひどく酔えば、誰でも、どんな人でも、十把一絡げで『酔っ払い』と呼ばれ、酒に酔っておかしくなってしまった人のグループに入れられてしまう。
『ヨッパライ』『アル中』『飲んだくれ』・・・その他にも、酒飲みに付けられた呼称は色々あるが、何れにしろ、どんなに偉い人でも、飲み過ぎれば、ただの酔っ払いに成り下がるわけだ。
アルコール依存症であろうとなかろうと、酒を飲む人はおしなべて、酔っ払いになる可能性を秘めている。
私は、〇〇会社の部長だ!
私は、△△大学の教授だ!
私は、xx省の官僚だ!
このような、現実世界での役職など、全く無関係に、アルコールによって、酔っ払いのグループに入れられてしまう。
酔っ払いと言う生物に多様性は無く、一律に、単にアルコールでラリっているだけの存在に過ぎない。酒から醒めて、本来の自分に戻った時に、酔っ払いグループから抜ける。
アルコール依存症を患うと、二六時中ヨッパライである。
個性など飛んでしまい、意識はひたすらにアルコールの下にある。
断酒によって、そこからの回復が出来れば、アル中に変わりは無いが、ヨッパライではなくなる。
人間にだって、大いに多様性がある。
それぞれの個性を活かして、伸ばして、日々の生活を楽しく愉快に送ることが出来れば、最高の人生だろう。
酒によって、それが奪われてしまうのは、本当に悲しい。
酒を飲んで、アルコールに脳がやられてしまうと、個性が飛んで、一律に誰もが、ただの酔っ払いに成り下がる。
ああ、情けなや!酔っ払い!
そんなことを考えつつ、今宵も、酒なしのクリアな頭で良かったなと、胸を撫でおろすのである。
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