飲酒によりアルコールが体内に取り込まれ、その量がある一定の線を越えると、人は酔う。酔い方は、人それぞれ、十人十色だ。
私のように、寝てしまう人。笑う人。怒る人。説教を始める人。泣く人。やたら饒舌になる人。歌う人。泣きだす人。人に絡む人。喧嘩をする人。謝る人。お願いする人。
概ね、変わらない人が多い中で、アレッ!?というくらい、180度変わってしまう人もいる。目が据わり、表情まで変わる。普段とは別の人格が出てくるのだ。アルコールが、人間の理性を司る、大脳皮質に麻酔作用を及ぼす。それにより、大脳皮質に抑えられていた、大脳辺縁系という、感情を司る部分の働きが活発になるからだそうだ。箍(たが)が外れるということだ。
泥酔した日の翌日。前夜の行動など全然記憶にないのだが、一緒にいた人に聞くと、なにやら議論していたり、ある特定のことをきちんと喋っていたりする。どうやって帰宅したのかさえ覚えていないのに、いつの間にか家に着いていたりする。
丸で、酔うと、本来の自分はどこかへ消えてしまい、別の人格が出てきて、考えたり、喋ったり、タクシーや電車に乗ったり、歩いたりしているような感じだ。自分なのに、自分ではない。しらふの自分から見ると、酔っ払いの自分は、隙だらけ、危険だらけ。
外で飲んで帰るときが、私のように適量で済ますことの出来ない人間には、一番危険が多い。泥酔してしまうと、駅のホームで転落してもおかしくない。おやじ狩りに合っても、逃げることすら出来ない。電車は乗り過ごす。悪質な店でボッタクリに合うかもしれない。以前の私のように、眠っている間に、財布など掏られても気付かない。
しらふの時の自分ならば間違ってもしないような行動を、酔っ払いの自分はいとも簡単にするだろう。大脳皮質が麻痺し、理性がどこかへ飛んで行ってしまっているのだから。
これらのことを考慮すると、今まで、身に危険が及ぶような、酒絡みの重大な事故や事件に遭遇しなかったのは、奇跡に近いのではないかと、しみじみ思う。
もう、アルコールは飲まないから、いつも大脳皮質がフル稼働しているので、安心だ。
☆蛇足☆また、下らないが、断酒がらみの語呂合わせを。
断酒一秒酒一升 (←注意一秒怪我一生)
・・・断酒を1秒怠ると、酒を1升飲む事になる!
悪飲酒みんなでやめればやめられる(←赤信号みんなで渡れば怖くない)
・・・悪い習慣の飲酒も一人ではなく仲間と一緒にやめれば、断酒できる!
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