reko様のコメントで、断酒について、おもしろい表現があったので、引用させていただく。
『少しだけ飲みたいけど、少しくらいも飲ませません。私が私に!!最近我慢も快感になってきてるのかも。』
飲みたいという自分に、飲ませないのも、自分なんだ!主導権は酒じゃなくて、自分にあるんだぞ!酒に好き勝手はさせないぞ!ってことで、これは、私の胸に響く、いい言葉だった!
飲みたいぞ!という自分がいる時に、どうぞ、と、飲ませるか、ダーメ!と飲ませないか。全て、自分が決める事。気持ちが弱いと、酒に決められてしまう。酒のほうが勝手に口に入ってくる。
『我慢が快感』という表現。最近、私も感じでいたのだが、うまい言葉が見つからないでいた心の状態。まさにこれだ。
やっぱり、楽しまなければ、断酒は続かない。悲壮感を漂わせて、丸で修行僧のようにアルコール禁欲生活を送るのではなく、
お酒なんていらないよーだっ!ベーーーッ!
てな感じの、子供に戻ったような明るい生活のほうが、楽しい。
断酒してから、深夜の飲み屋街を通過したり、帰りが遅くなった時の電車内(週末などは特に)などで、あちこちに、大トラや、小トラが生息しているのが、目に付く。今までは、自分がその仲間だったので、気にもしていなかったのだが。中には泥酔して寝てしまっている人もいる。凄いのは、朝方、路上で寝ている人の存在。
どこで、どれだけ飲んで来たんだい?ここの人?それとも、ここから帰る人?
なんと、まあ、酒はおやじ達を無防備な状態に晒すのだろう。酒さえ飲まなければ、パリっとしたスーツを着て、往復きちっと通勤していたはずの人が、正体もなく騒いだり、眠りこけていたり、喧嘩したりしているのだ。
あー。(この、あー。は、何と言うか、昔の自分の情けなさに出てしまう)
かつての自分が、いる、いる。あそこにも、ここにも。と、よーく観察してみると、やっぱり、飲まないほうが正解だと、得心する。しらふであれば、自分を危険に晒すことが無い。
でも、つい数ヶ月前までは、正反対の、いつも酔っている側だったので、しらふの人から観察されていたんだろうなあ。なんとまあ、恥ずかしいことだろう。
お酒を飲み過ぎると、こうなる。飲み始めてしまったら、適量で終わらない自分は、飲みすぎてこのようになるのが分かっているので、最初から、飲んではいけないのだ!
意地でも飲まない!
この夏を、大人になってから初の、ノンアルコールで乗りきるために。
*広告