あの日(2013年3月14日(木))を最後に、私は、一滴の酒も飲んでいない。
料理の味付けに日本酒を小さじ1杯とか、先日のわさび漬けに含まれていた微量のアルコールなど、厳密には、全くのゼロではないかもしれないが、少なくとも、酒を単独で飲む事は、一切していない。
子供たちは何事にも天性の敏感さがあるので、父親があの日以来、一滴も酒を飲んでいないことは、分かってくれている。嗅覚が鋭いし。
ところが・・・である。
何事にも大らかなうちのかみさんは、たまに私がテンション高く騒いだり、おやじギャグを連発していると、
「あれー随分今日はハイだねー、飲んじゃったの?」とか
「帰りにどこかで飲んできたでしょ?」とか
「どこかにお酒隠して、隠れて飲んでるんでしょ?」などと
私の心に、チクッと刺さる言葉を発する。
これまでは、「本当に飲んでないよ」「あれから、一滴も口にしてないってば」「何で信じてくれないの?」なんて、返答していたのだ。
でも、もう、弁解したり説明したりするのも面倒なので、かみさんの真意は分からぬながらも、冗談と捉え、同じモードで、言葉を返す。
「ん。飲んできたよ。なんで分かった?」とか
「バレたか!飲んでるよ。台所の棚に隠してある」
実際、私にとっては人生最大の決断である『断酒』も、かみさんにとっては、何と言うか、今までのように泥酔状態が毎日続き、かみさんに迷惑が掛かるようなことがなければいいだけのようだ。適量でさえあれば、私が酒を飲もうと飲むまいと、どうでもいいみたいだ。
そういう適度な状態を保てる飲み方ができないから、『断酒』を選んだのに。
妙な言い掛かりをつけられて、最初は戸惑ったけれど、酒を飲んで無くても、飲んだフリ&酔ったフリするのも、楽しいなと、思うようになった。飲んでハイになるより、しらふでハイになったほうが、健康的で安上がりだ(笑)
30年以上も飲んできたので、酒って、飲まなくても、私には背後霊のようにくっついているのかね。私=酒というイメージは、なかなか消えない。
ま、それはそれで、仕方ないな。
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