開始した頃、1週間の継続さえ危うかった断酒が、今日から6ヶ月目に入った。長いか短いか、と、問われれば。。。
時の過ぎ行くのは、あっという間に感ずるが、一方で、断酒の日々は、とても長く感ずる。不思議な感覚だ。実際、まだ、半年経過していない。
一日一日、酒を飲まない。たったこれだけのことなのに、大のおとなが取り組むには、ハードルが高い。それだけ、酒に毒された日々が長かったから、その毒を抜くのにも、時間がかかるのだろう。
ブログも、日々の更新がなによりのチカラになっている。断酒4日目に、とても酒を我慢することが続けられそうになくて、自分の断酒の苦しさの悲鳴を、誰かに聞いてもらいたくて、始めた。
何度か書いたが、映画評論家・水野晴郎さん風の『いや~、断酒って本当にいいもんですねー』という、心境になるまでは、一日一日、酒を我慢する日々が、淡々と続いた。何とか酒を飲まないために、いろんな事を考え、クエン酸水やら、りんご酢やら、炭酸水を飲んで誤魔化す日々。今は、これらのものは殆ど飲まなくなったから、これも、不思議。ひとつ乗り越えたのだろう。
断酒だけでなく、なんでもそうだが、ずっと当たり前に続けていたことを止めるのは、苦痛を伴う。幕末から明治維新の頃の髪型だってそうだろうし、下駄や草履を履いていた人々が、靴を履こうとしたときも、最初は苦痛だっただろう。
断酒6ヶ月目に入って思うのは、続けている内に、慣れてくるということかな。1ヶ月目の頃なんて、もう、喉から手が出るほど毎日酒が飲みたくて、七転八倒の日々だった。それが、少しずつ、薄皮を剥がすように、飲酒欲求が剥がれ落ちて行った。今でも、薄っすらとまとっているが、もう、あまり無いような気がする。
これから先、いつか書いたブーメランのように、飲酒欲求の大波が戻ってくるかもしれない。戻って来ないかもしれない。どっちにしても、もう飲まないと決めているので、自分の対応は同じだ。
最近は、酒で悩むことがほぼ無い。『ほぼ』というのは、完全に無いわけではないので。あの、ビールと酎ハイのシュワーっという喉越しが、まだ、未練として頭をかすめるからねー。喉越しを味わいたいということと、酔いたいってこととは、別の欲求だと思うのだが、結局、飲んでしまったら、同じ。酔ってしまう。
心新たに、一日一日、積み重ねて、先ずは、『半年=6ヶ月=1年の半分』を達成してみよう。あと約30日だ。
(飲んでないから当たり前の話だが、断酒してから、二日酔いで潰れてしまう日というものが、皆無だ。私にとっては、これが、断酒の中で一番の成果かも。頭がズキズキ痛み吐き気がする、あの情け無い二日酔い。酒を飲まない人は、絶対にならないから!)
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