今日で、ついに区切りの200日だ。一日一日断酒への思いをブログに刻んできたので、とても感慨深いものがある。
初日から100日は、1日が、1週間が、やたら長く感じたが、101日目から本日までは、スムーズに日が流れたような気がする。たぶん、飲酒欲求の強弱で、時間に対する感覚が違うのだろう。
「お主、よくやったな!褒めて進ぜよう!」と、自分に言いたい。
《断酒200日目ということで、私の断酒のお守りを公開!
息子が、小学校低学年の頃、図工の時間に、余った材料で作ったものらしい。たぶん、とっくりみたいな形だから、「酒」ってマジックで書いたのかな。
ちょうど手のひらサイズ。使い方は、飲みたいのを我慢する時、ぎゅっと痛いくらい握り締める。結構効果あったなー。この中に飲酒欲求を封印するみたいなイメージで。
数ヶ月前、いらないものを整理してたら出てきた。
捨てるというので、もらった。世界にひとつだけの、断酒のお守り!》
もちろん、日々のアルコールへの警戒は怠らないが、最近は、ほぼ飲酒欲求が...ないのだ! 本当に、楽。帰宅して、喉が渇いていたら、コーラか麦茶をコップに2、3杯ゴクゴクするだけ。夕食は、20~30分で終わる。
今の生活で感じるのは、酒を飲んで酔うより、しらふの頭でいたほうが、遥かに楽しいということ。ここのところに気付くと、もう、『断酒』という言葉も『卒酒』に変えていいのかなー。
『断酒』は、ある一定期間飲まない『禁酒』よりも厳しい己への戒めで、酒を一生断つという行為だが、まだ酒への未練がたっぷり残る言葉だ。最近、そう思うようになった。酒が好きで飲みたいけど、断つ、では、まだまだ、だ。
『卒酒』に到達すると、たまに飲酒欲求が起こっても、「あー、おれ、酒はもう、卒業したんだ」という、恬淡とした心でいられるのではないかな。
タバコの場合、箱から取り出し、口に銜え、ライターで火を点け、一服という一連の行為がある。酒の場合は、プルタブとかキャップを開け、コップに注ぐか、そのまま口をつけ、グイッと飲む、酔う、という行為だ。違うのは、酔うということと、酔っただけでは終わらないところ。
私は、そういう飲酒行為そのものを、卒業した(と思っている)。もう一度、飲酒学校に戻って、飲酒学習するには、長い年月、同じことを学びすぎた! 飲酒学校での学びの内容は、超マンネリズム。買う・飲む・酔う→泥酔・二日酔い・反省。ハイ、今日も繰り返しぃ! 買う・飲む・酔う→泥酔・二日酔い・反省...よくも凝りずに、毎日繰り返していたものだ!
もう、飲酒学校で学ぶことは何ひとつとして、ないぞ!
本日が、断酒200日目ということで、同じ大きな区切りの100日目の記事を読み返してみた。この日は、朝から大車輪で動いている。息子の自転車のパンク修理、娘と出かけ、戻って冷やし中華を作り、息子の頭をバリカンで刈る、とか。飲んだのは、キリンレモン。と書いてある。おぉー、過去の100日目の自分、酒も飲まずに大活躍しているなあ!
酒を断ってからの自分については、飲みたくて苦しんでいる自分も、様々な飲まない工夫をしている自分も、少しずつ酒が不要になってきている自分も、ほぼ飲酒欲求に悩まされなくなった今の自分も、すべて、認め、そうして変化してきたことを誇りに思う。
ここまできたら、もう、元の酒地獄に戻ることは、考えられないし、戻る理由もないし、戻りたくもない! もし、再飲酒があるとしたら、そのきっかけは、気が緩んで、ほんの1杯を口にしてしまうことだろう。でも、これだけは、24時間厳重に警戒している。
先ず第一に、私は酒をコントロール出来たなどと、これっぽっちも考えていない。アルコール依存は、治っていないし、治らないからこそ、酒を飲まないのだ。ただ、それだけ。
ここで、次の区切りの断酒300日目(2014年1月8日)の未来の自分へ・・・
断酒300日目の、その時、どんな気持ちか、また、飲酒について、どんな考えになったか、それと、100日目、200日目と比べて、どんな心境の変化があったのか、レポートせよ、と書いておこう。
楽しみだな。
さてと、300日へ向けて、一日一日、また積み重ねてみよう。
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昨日の曼珠沙華ハイキングで、沢山撮り溜めしてきたので、少しずつこちらに掲載してゆこうかな。
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