大抵の人は、日常生活で、同じものを買うなら、1円でも安く買いたいし、同じ金額なら量が多いほうを選ぶ。
パンひとつ、ジュース1本買うにしても、A店よりB店のほうが安いと聞けば、多少遠くても、B店に行くだろう。
頭の中で、損をしたくない、得をしたい、という損得勘定が働いている。ここで、ネットの辞書で、『損得勘定』を参照してみたので、参考までに。
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weblio辞書【実用日本語表現辞典】
自分にとって損であるか得であるかを打算的に判断するさま。利害を指標として物事を考えること。
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さて、『飲酒』という行為に、損得勘定を当てはめてみると、あれほどみみっちく損得を考えていた自分なのに、酒に関しては、それが失せていることに気付く。損得を考えるならば、毎日『適正飲酒』で終わるはずなのだ。
何故、酒では損得勘定が喪失してしまうのだろうか。飲んでいるうちに、ではなく、飲み始める時から、終わりを考えない。そういう意味では、飲酒というのは、随分と胡散臭い(うさんくさい)習慣ではある。
一体、これまで酒にいくら使ったんだろう?考えるだに、恐ろしい金額だ。自分の身体の中に入ったアルコール飲料の金額だけではない。
二日酔いで休んでしまった日の稼ぎ。泥酔して終電を乗り過ごし、帰宅したタクシー代。タクシーで吐いてしまって、支払ったクリーニング代。同じく泥酔して、落としたのだか盗られたのだか分からない、財布や貴重品。酔っ払ってぶつけた時の怪我。まだまだ、酒での損失は続く。。。
こうして顧みると、酒においては、損得の内、《損》しかしていないことになる!あまりにも明確であり、歴然としており、何の弁明の余地もなく、ばかばかしくて、笑いが込み上げてくる。
たぶん、私と似たような飲酒経験をお持ちの方は、同じ気分ではなかろうか。
私のような飲酒パターンの人間は、酒に関しては、《損得》は存在せず《損損》だけだ。つまり、飲めば飲むほど、損をする!お金だけではない。健康も時間も家族関係も人間関係も信頼も信用も何もかもが、すべて、マイナス方向へ!損損損!
自分に向ける感情も、《自己嫌悪》。自分を好きになれば幸せなのに、飲んで飲んで飲んで、翌日、吐いて吐いて吐いて、反省。でも、また飲んで飲んで飲んで、の繰り返しに、うんざりするが、やめられない自分に《自己嫌悪》するわけだ。
私は、断酒して、自己嫌悪することは無くなり、酒を飲まない自分に満足している。そして、酒で命と健康まで奪われずに済んで、本当に良かったと思っている。その一歩手前で、ブレーキを掛けて、急停車することが出来たから。
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昨日の記事へのコメント、ありがとうございます。うちのかみさんは、風邪もほぼ癒えて、やっと普通の生活に戻りました。やっぱり、自分だけでなく、家族が全員健康でいることが、何より一番の幸せです。
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今朝のスロージョギングの時の朝焼けはTwtterに上げたので、河原に咲いていたセイダカアワダチソウと、買ってきた野菜。
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