酒をやめられない状態は、ある意味、酒に捕虜として囚われて、身動きできない監視下に置かれているようなものだ。
おもしろいのは、酒の方から捕まえに来たのではなく、自ら酒に近寄り、気づかぬうちに捕虜として囚われてしまい、気付いたら、なかなか脱出が出来なくなっているということだ。事程左様に、酒側の監視は厳しい。
なんだか、ベンサムが設計したという、パノプティコンという監獄のような感じがする。真ん中に監視者(酒)が一人だけおり、囚人(飲酒者)はそこをぐるっと取り囲むように、各人が仕切られた部屋にいる。囚人同士はお互い、壁で仕切られていて見えないが、監視者は全ての囚人を見ることが出来る。
私は映画が好きで、色んなジャンルを観る。戦争映画で、捕虜が知恵を絞って脱出するストーリーのものも、何本か観た。厳重な敵側の監視を潜って、何人もの捕虜が、脱出に成功する。
酒に囚われてしまったら、そう簡単には解放してもらうことは出来ない。依存症が進めば、正に、酒の捕虜として、24時間アルコールが必要な収容所に入れられているようなものだ。酒(アルコール)さえあれば、地球上のあらゆる場所が、この収容所になりうる。
ここで、真の恐怖なのは、その囚われが、物理的に隔離されたものではなく、精神的依存からの捕囚であるということ。実は、身体は自由なのだから、酒から離れていればいいのに、その依存している精神が、自らを酒のそばに連れて行き、囚われしまうのだ。
しかし、本当のところ、酒の捕虜からの解放・脱出は、酒を断つだけで可能なのだが、この、飲まない、という単純な行為は、酒(アルコール)の捕虜には、かなり困難な行動である。けれども、それを克服した先には、《酒からの自由》が待っている。
この《酒からの自由》は、酒を、もう、買わなくていい、飲まなくていい、酔わなくていい、周囲に迷惑をかけなくていい、二日酔いにならなくていい、自己嫌悪に陥らなくていい、いい、いい、いい、の良いこと尽くめなのだ。
この《酒からの自由》を得るために、お金がかかるだろうか、時間がかかるだろうか、何か失うものがあるだろうか、どこか身体が痛むだろうか、誰か自分の周囲に困る人がいるだろうか。
必要なのは、決心と実行だけ。その実行方法も、その人の考えとアルコール依存症の度合いにより、断酒会、AA、医療機関など、各種あるのだから、進もうという決意をして、実際に踏み出すことだと思う。
(・・・今日の記事、いつか同じような事を書いたかもなー。。。毎日書いているから、過去記事も多くて、チェックも中々出来ない・・・)
←今朝の野菜。ALL100円☓7=700円!
隼人瓜は、珍しいかも。菊芋も、あまり八百屋ではお目にかからない野菜だ。
我が家は、地元の野菜で、いつも健康!
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