放下著と書いて、ほうげじゃく、と読む。私の好きな、禅語のひとつ。
簡単に言うと、何もかも、全部捨ててしまえ!という意味だ。
この禅語のルーツは、昔の中国の禅宗の偉いお坊さん・趙州(じょうしゅう)和尚の話だそうだ。
あるとき、かなりのレベルに達した禅の修行者が趙州和尚に、
「私は長い間の修行の成果で、煩悩妄想を断ち、自己本来の仏性を体得して無一物の境地になりました。これから先の、修行はどうしたらいいのでしょうか」と、問うた。
すると趙州和尚が答えた。「放下著」と。
私は、禅の修行者ではないが、断酒の修行者として、この話を考えてみた。
たぶん、断酒に置き換えると、
「自分はもう、酒を断って何年も経ち、もはや酒など不要だし、酒のことなど考えることもしない。さて、この先、断酒はどうしたらいいのでしょうか」と、問うのであろう。
この問に対しても、趙州和尚は「放下著」と、答えるのだろう。
たぶん趙州和尚は、『断酒など、大したことではなく、子供を見てみれば、酒など飲んでいないぞ。これまでの悪習慣の飲酒を断っているからといって、それが、なんだ!その思いすら捨ててしまえ!』と言うのではないか。
軽い、重いはあるにせよ、アルコール依存症に一度でも陥った人は、再飲酒すると、すぐ元の依存症者に戻る。それは、あっという間であり、丸で光速を越えてワープしたかのようだという。しかも、以前より飲酒の量が増えることが多いらしい。私も、たまにある飲酒欲求に負けて、もし飲んでしまったら、たぶんアルコールに侵された脳が、これまで断酒してた分まで飲んでやれ!と、断酒前の飲酒量を遥かに越えそうな感じがする。
つまり、断酒しているという考えがあるうちは、まだまだ酒に囚われているのであり、一番の理想的なのは、全ての思いを捨て去り、酒など知らぬ生まれたままの自分の姿になれ、ということだろう。
さて、私のような凡夫は、あの世に行くまでに、そのような境地に到達出来るのだろうか。まー、そんなことを考えてみても詮ない話なので、私に出来ることは、これから先も、命ある限り、ず~~~っと、酒を飲まない、と言うことだけである。
結局、まだまだ、酒を意識していることに違いはない。一度取り憑かれたら、一生ものなのかな、酒という悪魔は。
魔が差しそうになったら、カーーーーーッ!と、自分で自分に喝を入れよう。
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ここ最近、急に寒くなり、朝の冷え込みにビビって、起きるのが辛い。
朝のJOGをサボることが、ちょっぴり増えてきた。。。
今朝は、行ってきたが、やっぱり、どんなに寒くても、身体の中から温まるし、朝の空気が気持ちいい。
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