またまた、なだいなだ先生の本を読んでの、読書感想文。
『新装版 アルコール中毒 物語風(なだいなだ)[五月書房]』
図書館にリクエストしたら、すぐに入手できたので、読んでみた。なだ先生の本は、とっても読みやすい!
この本の帯に書かれている文言が、凄い。
『「やぶ医者の私に治せると思うかね。諦めな。気の毒だとは思うけど。諦めて死にな。そのかわり好きな酒を好きなだけ飲んで死んだらいいだろう」
こんな助言(?)で彼は治った。どうも訳がわからない。名医でも治せなかった患者を私は治したのだ。』
『夕方になると飲みたくなる。誘われたら断れない。飲みだすととまらない。飲まないと眠れない・・・・・手がふるえる。イライラする。こんなアナタに贈る なだいなだ流断酒のテクニック!!』
大まかな内容は、前回読んだ本に書かれていたことと、ほぼ同じだ。ただ、なだ先生の医者になりたての頃から、ヨーロッパへの研修旅行、久里浜で手探りで始めたアルコール依存症患者の入院治療のことなど、より詳しく書かれている。
この本でなだいなだ先生が述べておられることを、一行に要約するなら、
【アルコール中毒は治らない。治療はない。訓練があるだけ】と、たったこれだけ。
私が、なだ先生の本を読む遥か前にブログに書いていた、「ダンシュはシュダン」ということも、先生の本に書かれていて、あー!これだ!と感動した。次の文章が、先生の書かれていること。
【自立させることによって酒が止まるのではなく、酒をやめる努力を通じて、自我が確立されていくのだ】
【断酒は自我確立によって目指す目的ではなく、あくまでも手段なのだ】
【たどり着く場所ではなく、積み重ねていく努力なのである】
そうそう、ところで、私には、かなりショックな内容が、この本の最後のほうに、チラッと書かれていた。これまで読んだアルコール依存症の本にも書かれていなかったことだ。
それは、今まで私は、アルコール依存に陥っている本人だけが一番の問題だと思っていたのだが、それ以外に、アルコール依存症者の子供たちへの深刻な影響についてだ。
「断酒したら、こんなに幸せになりました、という話が、断酒会の例会には多いが」という書き出して始まる文章には、断酒して10年になる父親と、その孝行息子についてのことが書かれている。
飲んだくれだった父親が断酒して、一家は幸せになったはずなのに、まるで埋められていた地雷、はたまた時限爆弾のように、忘れたころに、子供に影響が出てくる場合が多いのだそうだ。
「子供の幼児期に父親が暴力で一家を震えあがらせていたが、その影響が、父親が断酒を続け、平和が戻ったかのように見えた家庭に、数年、十数年たったあと、突然に不幸の陰を投げかけるのだ」
子供の頃に、親がアルコール依存症だった人が、青年期に達して、精神に異常を来たすケースが多いのだそうだ。
なだ先生が案じておられるのは、アルコール依存と見なされない親でも、例えば、会社からの帰りがいつも遅く、酔っ払って帰ってくることが多い場合、酔った状態でしか子供と接しないので、親子関係は有害な緊張状態にあるのだそうだ。子供に対して、怒鳴りつけ、小言を言い、馬鹿扱いする。子供が一生懸命に作り上げようとしている未来の自己イメージを平気で打ち砕くような言動を吐く。
ここを読んで、うううぅぅぅ。私の断酒は遅すぎたか...と、ギクリとし、青くなった。自分だけが断酒して喜んでいる場合ではない。これでは、酒をやめてhappyにならない。
しかも、その答えが分かるのは、あと5年後とか、10年後ではないか!
んー!本当に、酒というやつめ!自分がやめても、まだ家族に影響する可能性があるのか!コンチクショー!
あーあ。なんで、あんなものを長らく飲んでいたのか。
失われた時は戻らぬので、こればかりは、成るように成るのだろうな。全く、何とバカな自分であり、親であったことだろうか。
だが、しかし、飲酒時代の己の言動を思い返し、子供にどう接していたのか、かみさんに聞き、子供にも聞き、上のような事例を、これからの学びの対象にして、ネットや書籍や、その他で調べてみようと、前向きに考えている。
*広告
↓↓↓※コメント欄は、承認制にしています。すぐに反映されませんが、必ず、読んで承認しますので、お待ち下さい<(.".)>