たまに目に付いた時、無声映画(サイレント映画)を借りることがある。
動きが人形みたいで、いちいち漫画の吹き出しのような台詞が入り、活動弁士が、感情を込めて、解説する。これが、結構新鮮で、私は好き。あまり作品そのものがないけれど。
酒が原因で、死んで行った人々の人生をサイレント映画に仕立てて、活動弁士付きで全国で巡回上映したら、子供たちを含む多くの人に、アルコールの害を訴えることが出来るかもしれないなー。などと考えた。
飲んで酔った本人が死んだ場合もあれば、飲んでた人が加害者で、何の関係もない人の命を奪ったり、身体を傷つけたりした場合もあるだろう。それら全て、酒(アルコール)が人体に影響したから起きた理不尽な『死』や『傷害』である。
そのサイレント映画の上映時、昔の活動弁士ならば、こんな風に嘆きの解説をすることだろうな。
『ああ、この世にアルコールなかりせば、幾多の有意義なる人生を、全うせしことか!ここに登場する人々は、何れもアルコールに殺されし無辜の人々ぞ!それにつけても、憎きは、酒ぞ!アルコールぞ!』
いちいち誰彼と名前は挙げないが、古今東西、沢山の有能な人が、アルコールが原因で、志半ばにして亡くなっている。もちろん、市井の名も知られていない人も、数多くアルコールにやられている。
沢木耕太郎という作家の『世界は「使われなかった人生」であふれてる』という本を思い出したが、そのタイトルと、今日書きたい私のブログの内容が被る。
アルコールが無かったら、いや、あっても、飲まなかったら、『世界は「アルコールに破壊されなかった人生」であふれている』のではないだろうか。
酒で破壊されてしまった人生が、あっちにもこっちにも、転がっている。過去形だったり、現在進行形だったり。
自分で飲んだ人の人生だけなら、まだいいけれど、酔っ払いによって破壊されてしまった、酒なんか一滴も飲んだことのない人の人生は、一体どうなるのか。
そんなことを考えながら、アルコールに奪われつつあった自分の人生を、すんでのところで取り戻すことが出来たことが、やっぱり嬉しい。
この年の瀬に来て、いいトシをして、かつそれなりの地位にある人が、飲酒で事故を起こしている。本当に毎日のように、ニュースになっている。もう、いい加減に酒のバカバカしさに気付いて、やめたほうが良いのになあ。酒など、飲む意味がない。これが分かると、人生変わるのに。でも、分かる人は殆どいない。
『世界は「酒に囚われた人生」であふれてる』
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