『断酒とはhappyなことと見つけたり』
(上記文言のネタ元、葉隠の『武士道とは死ぬことと見つけたり』の意味は、実は断酒にも通ずるものが有り、好きなのだが、深いし難しいので、ここには書かない)
問題飲酒を繰り返していた人に色んな呼び名(アル中、プレアル、アル症・・・その他)が付いていたり、医者にかかったかどうか、入院歴があるかどうか、自助の会(断酒会、AA等)に通っているかどうか、など、千差万別だが、酒を断てばhappyなことだけは確かだ。
酒を断つだけでhappyになれるわけがない、と言う人もいるだろうが、少なくとも、飲み続けてのunhappyな生活よりは、happyだと思うが、どうだろう。この辺りは、私個人の経験でしかないので、この程度しか書けないが。
私の場合は、どこで山を越えたのか、酒を求める心が無くなって来ている。飲酒欲求が消えたわけではない。例えるのは難しいが、以前書いた、赤ちゃんの離乳みたいなもののような気がする。
自分も遥か昔に離乳しているし、我が子の離乳も見ている。他に、断乳とか、卒乳なんていう表現もあるが、母乳やミルクから離れて、離乳食に向かうのは同じことだ。まだ飲もうと思えば飲めるのだが、もう乳を飲んでいる時期ではない、と、赤ちゃんながら思うのかな。
さて私は、酒から離れて何に向かったのか。代わりに飲んだものや、今飲んでいる白湯、というのも話題としては有りだが、そうではなくて、私が向かったのは、精神的な楽園だという気がしている。
上手に飲める人は、飲酒がhappyなのだろうが、私のような人間には、断酒がhappyなのだ。ここには、境界線がしっかり引かれている。なので、誰でも彼でも取っ捕まえて、「酒やめると幸せになりますよ」なんて言えない。
酒を止めた方がいい人の中にも二種類あって、それを自覚している人と、無自覚な人がいる。もちろん、無自覚な人は、傍から何を言われても、馬耳東風であるから、論外として、自覚していても止められない人にこそ、断酒の実践を勧めたい。
私のブログも、あとひと月と少しで満願の365日になりそうだ。今の心境に至ることが、そもそもの目標だったので、ほぼ達成できそうだ。酒を飲まなかったことの報告を兼ねて、一年続けようと思い立ち、日数的に目標へのカウントダウンが見えてきた。
365日を過ぎたら、ブログ更新を2~3日に一度くらいにしようかな、とか、別のブログに引っ越して衣替えしようかな、とか、考えている。日々更新の断酒修行も、あと33日か。
禁煙して今年で9年、タバコが大嫌いになり、その臭いにすら嫌悪感を催す心境となっている。ほんの少しだけ、酒(アルコール)に関しても、その心持に近づいているようだ。ただ、酒はタバコ以上に手強い。タバコへ嫌悪感を100としたら、酒へのそれは、まだまだ1とか2程度かな。断酒もあと5年とか10年経たないと、心の変化は分からないのだろう。
(しかし、油断禁物ということだけは、いつも念頭に置いている。アレが一滴でも口に入れば、呼び水ならぬ呼び酒となって止め処なく胃の腑に落ちることになるのは、分かっているから)
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これは、我が家周辺の、本日の雪景色。ここまで積もるのは、かなり珍しい。
(北国の人からしたら、どうってことないだろうなー。私の子供の頃の山国の雪の記憶からしても、どうってこともない。ただ、やっぱり、雪害とは裏腹に、雪景色・雪化粧というものは、日頃の風景を絶景に変えてしまう)
→私の車ではありませんよ(笑)
←晴れて、植木が雪の帽子被ってる。
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