《足をすくわれる》・・・正当とは呼べない方法で出し抜かれるさま、意表を突かれるさまなどを意味する表現。
《深みにはまる》・・・深く落ち込んだ箇所に陥り、容易に抜け出せなくなること。よくない社会的関係などから逃れられない状態になること。
[実用日本語表現辞典より]
男も女も老いも若きも、気軽に始めた飲酒で、いつの間にか足をすくわれ、深みにはまり込み、抜け出すことが出来ず、藻掻いてる人がいる。
酒でこんなことになるとは、思ってもいなかった。意表を突かれた。こんなに深みにはまると、抜け出すことが出来ない。
もちろん、その一方で、健康的に酒を楽しんでいる人も多くいることは確かだ。
飲酒人口6000万人とも言われている中では、少数派なのかもしれないが、アルコール依存の家族を抱えた人のブログを読むと、月並みな言葉では言い表せないものを感じる。
その中でも次のたった一行の疑問が、解けない。
『普通に売られている飲み物で、なぜここまで人間が破壊されてしまうのだろう?』
私も、かつて当たり前に飲んでいて、身体と人生を危険に晒していたので、やめている今、このことはいつも考えている。
その《酒》という飲料が公然と売られていることが、良いとか悪いとかの議論をする積もりは全くない。大人であるという条件さえ満たしていれば、誰でもアルコール飲料を買うことが出来る、しかも好きなだけ飲んでも良い、というのが、現実の世界であるから、これに関しては受け止めるしかない。
但し、アルコール依存症は病気だから仕方がない、という、意見にも与したくない。病気になっているのは、結果であって、ではなぜ、そういう病気になるのか、というところがすっぽりと抜け落ちている。
お酒は適量で!などという、意味のない啓蒙の言葉を時たま見かけるが、アレは、のんべーの目には入らない。何しろ、耐性を獲得しているから、《適量》では全然飲んだ気がしないのだ。
Aという病気の原因はBという物を多量に摂取するからだ、ということが分かっているのに、自分はAには絶対に(または多分)ならないし、Bを身体に入れると気持ちがいいから、やめられない。自分の金で買って身体に入れてるんだから、他人から四の五の言われたくない!と言ったところが、アルコール依存症の始まりであり途中経過であり終わりでもあろうか。
商売の世界では、何でもそうだが、リピーター(いわゆる固定客)を増やすのが繁盛の秘訣だ。そういう意味では、アルコールに取り憑かれた人々は、どこかで抜け出さない限りは、酒で商売している業界及び人々にとって、死ぬまでリピーター(固定客)なのだ。何しろ酒に人生を賭けてるのだから、これほどの上得意客は他に居るまい。
これは、アルコールに限らず、他の薬物や、パチンコや競馬などのギャンブルでもそうだし、依存症というもの全てに共通することでもある。
酒の深みも様々だが、その弊害に気付く人・気付かない人、も、また様々である。自分で気付く人、家族に言われて気付く人、気付かない人、気付いて行動する人、気付いても飲み続ける人・・・
もう、酒を造らないで下さい、売らないで下さい、と言いたいところだが、そんな非現実的な願いは、即却下。今の、この世の中で、問題飲酒者が全うに生きていくには、酒を無視するより他の道はない。
酒の深みにはまった人の、その深さは、どう測るのか知らぬが、人それぞれ、片足のくるぶしくらいの人もいれば、両足膝までとか、胸の当たりまで、もっと酷くなると、首まで浸かり、溺れかかっている青息吐息の人もいるだろう。
しかし、覚醒し、そのはまった深みから、エイヤッとばかりに抜けだすしか方法がないということだけは、誰しも同じだ。つまり、救いの道は、断酒のみということ。
酒を断つという行為には、苦しみが伴う。飲んでも地獄、断っても地獄、ならば、有限の地獄を耐えて、酒の深みから抜け出す方を選ぶことが、最善であることは間違いない。この道を歩むに当たっては、酒を断つ、という行為だけが重要であり、他には何も要らないのだ。
進むべき道は明らかに見えているのだが、歩む人は少ない。
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