酒豪と言われる人がいる。江戸時代の相撲取り、雷電為右衛門が二斗飲んだという話は、有名だ。
一斗とは、一升の10倍なので、18リットル!二斗なら、36リットル!
こういう人もいる一方で、強い・弱いに関係なく、飲み続けて、依存症に陥る人も多い。
以前、酒と戦う意味がないので、敵前逃亡が一番だと書いた。もうひとつは、酒には無条件降伏するのが良い、ということ。このぐらいで酔ってたまるか。このぐらいなら飲める。なんてやっている内に悪酔いする。
最初から、参った!負けた!エタノールは最強!さすがは、麻酔薬にも劣らぬ薬品!って、おだてて、神棚に祭り上げるだけにしておいて、酒には挑まないのが一番だ。
さて、ここで、全く条件がないものを考える。。。それは、愛。愛情。無条件の愛。
母親の子供への愛。男女の愛。もちろん友人同士にも愛はある。
愛をあげるから100円ちょうだいね。愛してあげたから、スマホ買ってよ。愛情が、昨日消費税増税前のセールで、5割引で売ってたよ。なんてのはない。
断酒も、○○に良いからとか、○○に悪いから、○○のため、○○と言われたから、ではなく、無条件に、実行する。これが、最近考えていることだ。本当に好きなら、その人を無条件で受け入れる。酒も、本当に断ちたいなら、無条件で、断つ。
例えば、健康診断で、どこかが悪いと指摘されて禁酒したとしようか。次の診断でそれが改善されていれば、禁酒は解かれる。この禁酒には、条件が付帯していたわけだ。
飲むのも飲まないのも自由自在という人なら、そういうことも可能だろうけれど、飲まずにはいられない、依存症の人になると、身体の不調など、お構いなしだ。どんどん進むと、朝から酒を飲む。寝ている時間以外、飲む。そこには、「飲みたいから飲む」という、ただそれだけの世界しかない。
入院治療が必要な人もいるし、自分で何とか断酒している人もいるだろう。アルコール依存症という病気には、治療はあっても、治癒はない。回復のみ。だとしたら、やはり、四の五の条件を付けず、酒には無条件降伏して、断つ、これしかない。
他の病気なら、ちょっと良くなったら、外出してもいいよ、散歩に出てもいいよ、らーめんも食べられるようになるよ、と、病気の治癒具合によって、元の生活に徐々に戻ることが出来る。
アルコール依存の場合、回復したからといって、元の飲酒行動に戻ることはできない。無条件に、酒を断ち続ける。これのみ。
語呂合わせだけれど、酒に《無条件降伏》すると、《無条件幸福》が漏れなく始まるってのは、どうかな(笑)
昨日も最後に書いたけれど、酒のない日々は、平和だ。凪いだ海に、キラキラと太陽光が反射して、その上を微風が吹き渡るような感じだ。
もちろん、飲み方によっては、毎晩の晩酌が平和な光景の家庭も沢山あるだろう。そこでは、酒は、無くてはならない存在だろう。
飽くまでも、飲酒で何らかの問題を抱えている人・家庭では、無条件に酒を追放することにより、平和が訪れる、ということだ。
↑↑↑某所で、こんな看板を見た。
「パチンコ、スロットは、”適度”に楽しむ遊びです。」
酒屋・飲食店・居酒屋にも、
「酒、アルコールは、”適度”に楽しむだけにしましょう。」みたいな看板がほしいな。 あまり意味はないと思うけれども。酒飲みは、適度では満足しないからネ(笑)
続けて、「飲酒も度を越すと、こうなります」という文言と共に、写真や文字で、様々な酒害を載せたら、少しは役に立つかも。。。
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