今読んでいる、「ワイル博士のうつが消えるこころのレッスン」という本に、良く出てくるキーワードが、「足るを知る」。
(この本はスエヒロさんに紹介してもらい、今、少しずつ読んでいる)
吾唯足知(われただたるをしる)のことだと思った。京都の龍安寺の知足の蹲踞(つくばい)というのが有名だ。左のような感じ。
(ウィンドーズに付属している、ペイントというソフトで、娘に頼んで書いてもらった)
臨済宗という、禅宗の寺に有る言葉なので、たった四文字でも、秘められた意味は、とてつもなく深く、とても私のようなものに解説など出来ないが、ほんの少しだけ、日常生活に活かすことは可能だ。
取り留めのない話になってしまうが、今日の夕方、知人一家に呼ばれて、ひな祭りと高校合格のお祝いを兼ねて、夕食をご馳走になりに、息子とお邪魔した。その家のお子さんと、内の息子が、たまたま同じ所に受かったので、楽しい会食となった。更に後からもうひと家族加わったので、益々賑やかだった。
私以外の大人は、酒を飲む。缶ビールから始まり、日本酒、ワインなどを楽しんでいる。私は、自分たちで飲むぶんということもあり、サイダーとオレンジジュースを手土産に持って行った。
そのお宅では、断酒している私に、冷えたノンアルコールのビールと酎ハイを用意して下さっていた。普段はノンアルものさえ飲まないのだが、お祝いということで、頂いてきた。味は似ているが、アルコールが入っていないので、やっぱり、別物だ(笑)
目の前で、私以外のパパ・ママたちは、本物の酒をうまそうに飲んでいるわけだが、私は、わざわざ用意して頂いたノンアルを飲みながら、十分満ち足りていた。本物を飲みたいという欲求も、皆無だった。
この気持を表そうとしたら、『吾唯足知』ではないかなー。この場に呼んで頂き、しかも、うまい手料理と飲み物と楽しい会話でもてなして頂き、これだけで、足りすぎるほどである。この他に一体何を欲するのか。
二時間くらいの滞在であったが、とても楽しい時間を過ごすことが出来た。日常生活全てにおいて、「足るを知る」ことが、今、忘れられている。本当は必要十分なのに、更に、求める。すると、手に入らない。そこに不満が生じる。
『足るを知る』ことは、断酒にも通ずるテーマだと考えている。冒頭に紹介した本を読み終えたら、その辺りを、もっと掘り下げて、記事にする予定だ。(しかし、この本、かなり分厚くて、ボリュームがある!)
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