たまたま、Yahooのニュースで、こういうのを見た。
リンク先を読んで貰えば分かるが、ざっとまとめると次ようなことが書かれている。
『遊泳中に溺れたり流されたりして死亡・行方不明となる割合は、酒を飲んでいる人が、そうでない人のほぼ倍に達する。(海上保安庁のまとめ)海保によると、2013年に海で遊泳中に溺れたりして救助求めた人は284人。うち死者・行方不明者は106人。遭難者のうち飲酒者の数を初めて調査したところ、45人が酒を飲んでいた。そのうち死亡・不明人は62%の28人。飲んでいなかった人の死亡・不明率(33%)の倍近い。』
初めて調査したっていうのも、何だか凄いな。おいおい、今頃かよ!って感じがする。お役所も、飲酒に関しては激甘だなぁ。
酔っぱらいが溺れる件に関しては、昨年『飲酒と溺死(断酒129日目)』というタイトルで書いたので、もう書かないけれども。
大体、酒を飲む人は、飲酒という行為を甘く考えすぎている。最近、私が思うのは、酒を飲むなら、命懸けで飲め、ということ。但し、私が考えるところの《命懸けで飲む》は、絶対に誰にも出来ない。
何故なら、飲酒は、自分の命だけでなく、他人の命も懸ける行為だから。他人の命を勝手に懸けて飲むなんて有り得ない。酔っ払って、自分の命が傷ついたり失われるのは、仕方ない。が、他人の命をも危険に晒したり、傷つけたり、奪ってしまうことがある。
因みに、goo辞書で《命懸け》を引いてみると…
命懸け・・・[名・形動]死ぬ覚悟で物事をすること。また、そのさま。決死。懸命。「―の作業」「―で取材する」
そう。飲酒には、死ぬ覚悟が必要。
話かわって、この三連休を利用して、かみさんと息子が新幹線で帰省するので、見送りに行ってきた。
なんという混雑!切符を買うのにも長蛇の列で、辟易した。ふと思ったのは、盆正月やゴールデンウィーク、三連休、など、仕方ないのだろうけれど、多くの人が同じく休みで、似たような行動をするから、鉄道も高速道路も、混む。なぜ?という疑問を抱くのは、私だけだろうか。
酒も同じで、例えば、桜が咲けば、沢山の人が酒を飲みに、花見に繰り出す。飲酒習慣も、多くの人が当たり前に行っていることなので、自分も、みたいな考えは、どうなんだろう。
私は、酒をやめてから、天の邪鬼の生き方を楽しんでいる。多くの人が右へ行くなら、私は左へ行く。多くの人が酒を飲むなら、私は飲まない。これが、結構おもしろい。
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