一度本を読んだことがあり、思い出して、「十牛図」について、また調べてみた。
十の牛の図って何?と、私も思い、ふと図書館で手にとった本を借りたのは、もう、何年も前の話だ。
簡単に言うと、禅の悟りの諸段階を、いなくなってしまった牛を探しに行く牧童を例えに、示してある図だ。もちろん私などに、そんな悟りがあるわけもなく、ただ、知識として読んだに過ぎない。
どんなものかは、下記のリンク先の説明が分かりやすい。
何を言いたいのかというと、悟りではないけれども、酒を断ってからの心の動きが、この牧童の、牛を探しに行く行動に例えたら、分かりやすいな、と。上記リンク先の説明を借りて、酒を断つ人の心に置き換えて見る。
第一図 尋牛(じんぎゅう)
ある日、日頃浴びるように飲んでいる酒が、自分にとってはかなりの問題であることに気づいたのんべーは、野を歩き川を渡り山を越えてその問題の解決策を探し求めています。ただ一人で・・・。彼は「飲酒問題究明」の酒断ちの旅に出かけたのです。
第二図 見跡(けんせき)
「やはり酒をやめることは出来ない」とあきらめていたのんべーが、ある日ほんの少しだけ、自力で酒をやめることが出来たことに気づきます。「ああ、なんとかなるかもしれない」とのんべーは喜んで、その日の行動を思い出してみます。
第三図 見牛(けんぎゅう)
のんべーは、とうとう酒を断つ日々を踏み出しました。飲酒欲求は、のんべーの心の中に尻尾を出して隠れています。飲酒欲求をどうしたものかと、のんべーは腕組みして静かに考えます。
第四図 得牛(とくぎゅう)
飲酒欲求の何であるかに気づいたのんべーはついに、それを捕らえました。のんべーは、再び暴れだそうとする飲酒欲求と渾身の力をふり絞って格闘を始めました。
第五図 牧牛(ぼくぎゅう)
のんべーは暴れる飲酒欲求を綱と鞭とで徐々に手なづけていきます。飲酒欲求はとうとうのんべーの根気に負けておとなしくなりました。飲酒欲求はもう二度と暴れることも首をもたげることもありません。
第六図 騎牛帰家(きぎゅうきけ)
のんべーは大人しくなった飲酒欲求を胸に家路についています。大人しくなった飲酒欲求による、平穏な心の鎮まりを感じつつ、楽しげに横笛を吹きながら・・・。
第七図 忘牛存人(ぼうぎゅうそんにん)
とうとうのんべーは自分の庵に帰り着きました。大人しくなった飲酒欲求にほっとしたのんべーは、庵でのんびりとうたた寝をしています。静寂の中、安堵の気持ちで・・・。彼は「飲酒問題解決」をほとんど成し遂げたのです。
第八図 人牛倶忘(にんぎゅうくぼう)
うたたねをしていたのんべーが突然にいなくなりました。あるのはただ空白だけ。のんべーになにが起こったのでしょうか。
第九図 返本還源(へんぽんげんげん)
空の世界からふたたび自然が戻りました。のんべーの中に根本的な変革が起こったのです。のんべーは自然のようにすべてを平等視して生きることができるようになりました。
第十図 入廛垂手(にってんすいしゅ)
のんべーは再び人間の世界に立ち帰りました。人びとが行き交う町の中に入った彼は一人の迷える童に手を差し伸べています。のんべーはとうとう「他者救済」という彼が目指す最高の境地に至ったのです。
さて、私は今、どの図のあたりにいるのだろうか。理想は、第十図の「他者救済」の境地だろうが。。。たぶん、去年の今頃から夏ぐらいまでが、第四図の得牛、そこから第五図牧牛に進み、今は第六図の騎牛帰家あたりかな。
楽しげに横笛を吹いている心境が、今の私かも。まだまだ、先がある、生きている内に、第十図まで行けるかどうか。
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今朝は一人で、10キロ2時間半くらいの、ウォーキング。というよりも、実は、ただの散歩をしてきた。この時期の早朝の空気は、早起きして外に出た人だけがもらえる、最上級のプレゼントだ。清々しくて、うまい。空気がうまい。
今日の写真は、私の住んでいる地域で今、満開を迎えているハナミズキ。
↑夜明け前のハナミズキ
↑開く前のハナミズキ
↑朝日をバックに
↑なぜか微笑んでいるように見える
↑野菜もついでに購入してきた。右上に見えるのは、途中で採取してきた、ノビル。これは、無料だ(笑)左下の大根の葉っぱは、販売所のおじさんがタダでくれた。
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