nobuさんのブログに書かれていた、断酒会での体験談を読んで、思ったこと。
(nobuさんのブログ:Jurianusの夢 お酒、煙草から自由になる記録)
Q.『お酒をやめて何をするのか』
A. 『そういうことは考えたことがない』
そういうことは考えたことがない、という人が多かったそうだ。
私も、当初はそうだった。酒をやめること・やめ続けることだけが目的だった気がする。
しかし、数ヶ月経って《ダンシュはシュダン(断酒166日目)》という記事を昨年の8月27日に書いた頃だが、それでいいのだろか、と気付いた。 断酒って、単なる手段であって、目的ではないだろうと。
先ずは酒を断ち、『そういうことは考えたことがない』という状態で、どのくらいかわからないが、相当程度の期間を過ごしてからも、まだ『そういうことは考えたことがない』状態の人もいるのだろう。
飲んでいた頃は出来なかった○○をやろう。家族のために△△をしよう。より良く生きるために□□を始めよう...云々と、酒を飲んでいた頃とは違う生き方を目指すのが良いこと、というのは間違いない。
けれども、私は、ここ数日で考え方が変わった。昨日の記事で、人間の命を深く考えたことが大きい。断酒が目的、それでもいいと思っている。酒を断っている状態を継続していること自体が、素晴らしいことだから。それはそれで、その人の生き方だから。
AさんがBさんのより良い人生を考えても、AさんはBさんの人生を生きることは出来ない。BさんはBさん自身の人生を歩むわけだから。それまで酒を毎日飲んでいた人が、酒をやめて、もう飲んでいないという、ただそれだけで、素晴らしいことではないか。ただそれだけのことが、実は出来ない人のほうが多いのだし、人間、生きているだけで丸儲けなのだから。
これで思い出したのが、何かしらの問題を抱えている人のブログで、その人は、その問題を中々解決出来ず、日々その報告をブログに綴るのだが、それを読んでいる人が、(もちろん善意からなのだろうが)あーしろ、こーしろ、とアドバイスするケースだ。
ブログを書いている本人は、ありがとうございます、と返答しつつも、不器用なのかどうなのか、一歩進んで二歩下がるようなことが多い。読んでコメントしているアドバイザーは、何で出来ないの!?って、イライラしているパターン。
子供の成長と同じで、親が出来ることは子供は出来ない。イライラして教えるけれど、やっぱり中々出来ない。でも、これは仕方がないのだ。子供は親とは別の人間だし、未熟で出来ないからこそ、失敗しながら覚えていく。
酒をやめると、時間が出来る。だからと言って、何か義務のように始めなくたっていい。
ただ、私が知っているブログやTwitterの断酒仲間の人たちは皆、酒を断った後、一歩も二歩も先へ進んでいる。そういう点では、皆さん話がツーカーで通じる。皆さん、飲んでいた頃より今の生活の方が断然良いと言っている。
酒を飲まない生活が板についてくると、自ずと何か始めたくなるのかもしれない。
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