酒をやめてhappyになろう!

31年間飲んできた酒をついにやめる日が来ました。でも、「断酒」はつらいよ。。。さて、いつまで続くか、続けられるか。はっきり言って、自信なし!《飲酒コントロール不能な「のみすけ」が書いてます。適正飲酒の方、酒を愛飲されている方は、当ブログをスルー(無視)して下さい》[コメント気まぐれ返信中m(_"_)m]

断酒・断酒・断酒!!

飲めるように鍛えた男の死(断酒1年98日目)

 今週、私の妻の叔父が亡くなった。食道癌。まだやっと70歳そこそこだった。

 

 2年前の晩秋、義父が亡くなった時の葬儀で久しぶりに会った時は、元気だった。妻の親戚では、唯一酒が飲める人だったので、その時も、久闊を叙しつつ、大いに飲んだ。

 

 妻の父方の兄弟姉妹は、この叔父を除いて、誰も酒を飲まない。というか、飲めない。この叔父(Jさん)だけ、何故酒を飲めるのか・・・

 

 今を去ること20年ほど前のこと。結婚式を挙げなかった私と妻は、籍を入れた後、結婚報告と顔見せを兼ねて、お互いの親戚を訪ねて回った。二人とも働いていたので、先方の都合も聞きつつ、数か月に渡り、何度も週末を利用して、あっちこっちと。

 

 J叔父さんの家へは、義父の弟という事で、私はちょっと緊張しつつ、初訪問。ただ、妻からは、「あのね、J叔父さんだけは、お酒飲めるんだよ。良かったね!」と聞いていたので、ちょっぴり期待もしていた。

 

 その日のことは、今でも鮮明に覚えている。

 

 「初めまして」と畳に正座して、頭を下げて、簡単にお互いの自己紹介を兼ねた挨拶を済ませた。と、その時、J叔父さんは、のんべーなら誰でもやる、お猪口をクイッとする例の仕草で「こっちの方は、いけるの?」と私に聞いてきた。

 

 私は、「あー、酒は、大好きなんですよ!」と答えた。すると、J叔父さんは、ニコニコして「うまい日本酒があるんだよ」との言葉を残し、いきなりすっくと立ち上がり、どこかへ姿を消したかと思うと、一升瓶を持ってきた。
 

 J叔父さんは、素晴らしい焼き物の、大きめのお猪口二つに、並々とその日本酒を注いだ。酒好きは、一瞬で、お互いを理解する(ような錯覚に陥る)。そんな感じで、私は最初からJ叔父さんと打ち解けることができた。

 

 渡されたお猪口を口に運びつつ、私は尋ねた。

  「○子(妻のこと)も、○子のお父さんも、他の叔母さん叔父さんたちも、みなさん酒が飲めない体質なのに、なんでJさんだけ、飲めるんですか?」

 J叔父さんは、ニコニコして酒を飲みつつ・・・

 「あのねぇー...鍛えたんだよ。訓練訓練!」

 

 若い頃都会に出てきてサラリーマンとなったJ叔父さんは、日本の飲酒礼賛社会に迎合するために、少しずつ酒に馴染むように、飲み会や、自宅で、飲む量を増やしていったと語った。酒を飲めるという事も、仕事の一つだとか。

 

 実は、飲めない人でも、少しずつ訓練すると飲めるようになるというのは、事実のようだ。アルコール脱水素酵素(ADH)の力が生まれつき弱くても、飲んで鍛えて(?)いるうちにミクロゾーム・エタノール酸化酵素(MEOS)というのが働き出すのだとか。アルコール分解酵素の話は難しいが、何となく分かる。

 

 ただ、怖い話は、去年WHOから発表された、酒を飲んで赤くなる人は、そうではない人の12倍食道癌になる確率が高いということ。これ、J叔父さんの食道癌に関係あったのかもしれない。もう一つの危険因子の喫煙だが、J叔父さんは、その頃から禁煙をしていた。多分、喫煙歴30年くらいで、その後禁煙をずっと通して20年というところだったはずだ。

 

 さて、J叔父さんの、死に至る経緯は・・・

  • 義父の葬儀から数か月後(昨年の春ごろ)、J叔父さんは、嚥下時の違和感に気付き、近くの病院を受診。
  • 町医者では手に負えないので、大学病院を紹介され、検査。
  • 結果、食道癌のステージ4だった。手術の適応外。
  • 更に詳しく調べると、既に癌は肝臓や脳にも転移していた。これらも、手術は出来ない。
  • これまでの治療手段は、抗がん剤と、放射線。
  • 去年の晩秋ごろには、食道も塞がってしまい、胃瘻を作った。
  • その頃から、見る見るやつれて来た。体重も減少し、見た目もかなり痩せ細った。
  • ここ数か月は、歩くことさえままならず、車いす生活だった。
  • しばらく自宅療養をしていたが、容体が急変し、再度入院。
  • そして、ついに今週、逝ってしまった。。。

 

 J叔父さんは、結局、食道癌が発覚してから、1年足らずで鬼籍の人となってしまった。 断っておくが、J叔父さんは、何の問題もなく会社を定年まで勤め上げ、その後は悠々自適(かどうかは分からないが・・・)の年金生活をしていた。酒好きではあったけれど、アルコール依存症だったわけではない(と思う)。

 

 因みに、J叔父さんの愛した酒は、洋酒だった。ウィスキーが大好きで、色んなブランドのものを棚に飾って、目を細めていたのを思い出す。禁酒とか断酒などはしたことがなく、喉の違和感を感じた時まで、大好きな酒を飲み続けていたことは、確かだ。

 

 以上が、飲めないのに、飲めるように鍛えた男の死の物語である。

 

 J叔父さんの食道癌の原因が、タバコだったのかアルコールだったのか、ストレスだったのか食べ物だったのか、はたまたそれらの複合だったのか、はっきりとは分からないので、酒でそうなったとは書かない。

 

 が、食道癌で亡くなった人、治療中の人、それらの家族の方のブログや手記を読むと、酒を常習的に、量も多く飲んでいたという人が多いような気がする。。。

 

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 今日の薔薇の写真は、記事にも出てきた、今は亡き義父の4年前の今頃の作品。私には、こんな写真は撮れない。。。

 

 

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