どのポータルサイトのTOPニュースにも出ていたので、皆さんご存知であろうが、お笑い芸人の春一番さんが、亡くなった。47歳。
記事には、
『大のアルコール好きがたたって2005年に腎不全で入院。すい臓、肝臓、腎臓と内臓を全部やられて体重が激減。骨粗しょう症にもかかり、長期休養していた。』
と書いてある。
最期は、2日の夜に酒を飲んで就寝し、翌朝3日の早朝4時に奥さんが目を覚ました際はいびきをかいていたが、再度6時ごろに奥さんが目を覚ますと、春一番さんの呼吸は止まり、体が冷たくなっていたそうだ。
47歳という年齢は、アルコール依存症の平均的寿命と言われている52歳にさえ届かない。
いちいち挙げたらキリがないが、有名人にしても、市井の人にしても、このように才能ある多くの人が、アルコールが原因で、若くして亡くなっている。酒は、その底知れぬ魔力でもって、あらゆる人を奈落の底に引き込んでしまう。
いつも書いているが、飲み過ぎると病気になり若死にしてしまう飲み物が、ただ酒税と消費税という税金が掛けられているだけで、売られており、”成人”なら誰でも買えるという事に、改めて驚く。
酒とは、その主成分がエタノールという麻薬である。これをコントロールしつつ飲むことが出来る人と、出来ない人がいる。これは厳然たる事実である。繰り返すけれど、酒という飲み物を前にして、Aさんは、適量で切り上げる。Bさんは、酔い潰れるまで飲む。Cさんは、飲まない。
あなたも私も、Aさんか、Bさんか、Cさんのどれかである。私は、BさんからCさんになったが、一番の理想は、最初からCさんであること。Aさんは、Bさんに移行する可能性があるので、ペケ。また、BさんからCさんへの移行は、かなりの狭き門である。{追記:Bさんから、Aさんへの移行(つまり、節酒)を試みる人もいるが、私の経験から、これもかなり難しいと考える。}
春一番さんに関連する記事で私の目を引いたのは、
《アントニオ猪木の気合で病床の“春一番”が一命を取りとめていた》
という記事にあった、アントニオ猪木の言葉だ。
2005年のこと。腎不全で倒れ、集中治療室にあった春一番さんを見舞った猪木が、気合いを入れたら、奇跡的に春一番さんが、起き上がったのだそうだ。その話を聞いた人が、「さすがに、猪木さんの気合は凄いですね」と言うと、猪木はすかざす、
『そうじゃない。俺が言いたいのは人間は自分で何かをやろうとする“意志”を持てば病にも勝てる。自ら成そうとする意志こそが大事ということなんだよ』
と答えたそうだ。
春一番さんが、この時に、酒を完全に断っていたら、どうだっただろうか。ただ、そこまでの辛い体験を以ってしても、飲酒の魔力には抗することが出来なかったようだ。
飲んで酔いが回る時の快感に脳が味を占めて、ただ飲みさえすれば、いつでもどこでも何度でもその快感を求めてしまう。酒は悪魔の飲み物である。
春一番さんの御冥福をお祈りします。
最後に、蔓延するアルコール飲料に、どう対峙するか。ちょっと詠んでみた。
『飲まなけりゃ 悪さをしない アルコール 呵々大笑し 敢えて捨て置く』
(解説:この世にはびこるアルコール飲料を無くすことは出来ない。それらは、どこにでもあり、飲む人も多い。こちらからそれらにいなくなってほしいといくら願っても、無くなることは絶対にない。それならば、アルコール飲料の存在を笑い飛ばし、そのままにしておく。ただ、それだけ。飲みさえしなければ、どこにアルコールが存在していようとも、私に危害を加えることは出来ないから)
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