7月1日に書いた、『酒毒→気の毒→脳の毒(断酒1年109日目)』という記事に、RRさんから頂いたコメントが、とても良い内容で、コメントのままにしておくのは惜しいので、今日の1回目のブログということで、転載させて頂く。
以下、私の方でカッコで括ったり、改行したりした他は、全てRRさんからのコメントの原文のままである。
===================RRさんからのコメントより↓↓↓
『長文になります。もしお手すきの時間があったら眺める程度で、一笑に付してください。
心療内科の先生から聞いた話しです。
能には間脳という部分があって、新皮質などより古い世代の部分だそうです。そしてさまざまな原始的欲求はここがつかさどるそうです。飲酒欲求もこの部分だそうですが、この位置は食欲を感じる部分とほぼ隣りあわせだそうで、食欲が満たされると、飲酒欲求も弱くなるそうです。
脳の原始的な部分に記憶されてしまうので、まったく消してしまうということは難しいそうなんですが、断酒を続けることで二次曲線的に弱くなくなっていくそうで、およそ3ヶ月、100日くらいでだいぶ弱くなるそうです。
ですがやはり突発的な波は起こりえるそうです。
ではなぜ再飲酒が起きるのかということなのですが、ストレスなどを感じたとき、過去の成功体験が浮かぶそうです。つまり飲んだら楽しかったとか、つらさを忘れられただとかだそうです。他の依存も似たような構造だと思います。
で、アルコールの場合精神依存に合わせて、肉体依存もあるから難しいんだといわれていました。そして、入院となると3ヶ月が最短の期間だそうで、単純に酒を絶つだけでなく、初めの期間は体調を戻すこと、次に自分自身を省みる期間、そして酒害の教育があるそうです。
のみすけさんが酒害の学びを続けているのを手本とし、私も酒でいかに惨めな気持ちになるか、家族を悲しませるかを考えることと、いかに平静なこころを忘れずにいるかということに注力していきます。
安岡正篤さんによると、「元気」という言葉がありますが、厳密には間違った使われ方をしているそうです。これは本来の人間の活力、生命力をさす言葉で、「今日は元気だね」という使い方でないそうです。その時々の気持ちの移り変わりは「客気」というそうです。つまり移り変わり、そして去るもの。
20年前くらいに読んだ本のなかの言葉で、当時は?でしたが、今になってよくわかります。水面は風や雨、鳥や虫、さまざまなもので波が立ったり様相が変わったりするものですが、しかし本質は変わりません。
ちょっとした客気にすべてを持っていってしまうことが無いよう自戒していこうと思います。
やはり安岡さんが紹介していられるのですが、「六然」「六中感」「四耐」を意識していきます。
(困ったことに安岡さんの書かれたものの中に、一升の酒を空けながら、夜中中勉強した。なんて下りもあったり、本のタイトルはうろ覚えですが、さらに興味関心を抱いた甥っ子に上げてしまったのですが、太平洋戦争前夜の日本帝国海軍のなかば常識のようになっていた、士官たちは艦の製造の過程で節目節目で大酒を朝までのみ、その翌朝、整然と祭典を迎えただとか、確か岩崎弥太郎だと思いますが、三菱が大企業になったころの宴席では、とにかく相手に酒を飲ませ、酩酊している状態を見て、その人物を判断したとか… 酒をたくさん飲めることが男の美しい姿だなんて、もううんざりですね。なんだか酒の勢いで客気に任せて自分を大きく見せようなんて、滑稽なことのようにしか見えません。)
ほんとに長くなって、しかも取りとめも無く申し訳ありません。
最後に
酒の害に気づき、酒をやめて、酒を飲む前以上に結果を出したヒーローを紹介させてください。江戸時代の落語、人情話なんですけど「芝浜」というのがあります。談志の十八番だったらしいです。you TUBEでもアップされてます。1時間くらいの話しです。他の方もやっていますが、やっぱり談志のものをお勧めします。談志よりうまい人もあったんですが、忘れてしまいました。
もしお時間がありましたら、ちょっと覗いてみてください。
長文失礼しました。』
==========================RRさんからのコメントより↑↑↑
*広告
↓↓↓※コメント欄は、承認制にしています。すぐには反映されませんが、必ず、読んで承認しますので、お待ち下さい<(.".)>
(まことに勝手ながら、コメント内容によっては、承認の前に、削除することもあります)