つい2日前の『未練をどうする(断酒1年128日目)』にfumiyoさんから頂いたコメント。
『ある人が、「もう飲めないんだ」と思うから未練が残るし、辛くなる。 「これからは飲まなくて済む」と思う事で気持ちが楽になるんだ。と言っていたのを思い出しました。 自身の身体や脳みそに侵入し、細胞を破壊していった毒薬を自ら絶った事で己に勝ち、酒に勝った。 「もう飲まなくて済むんだ」 これは効きましたね。 捉え方次第で酒に対する未練を断ち切る事ができました。 言葉って面白いですね。』
あ~ぁもう飲めないんだ・・・_| ̄|○ ガックリ
もう飲まなくて済むんだ・・・(^∇^)アハハハハ!
晩酌程度に飲んでいる人も、ヘビーに飲んでいる人も、皆んな引っくるめて、極当たり前に飲んでいる全ての人は、酒が好きで楽しいから飲む。嫌いなら、飲まないものね。
そういう人がもし、天の神様から、ある日突然声が掛かり、【もう、酒は今後一切飲んではならん!】と言われたら、
えぇ”~~~~~~~~~~!!そんな”殺生な~~~~~~~~~!!何でですかぁ~~~~~~~!!もう、飲めないなんてぇぇぇぇ!!!・・・と、激しく落ち込むことだろう。
でも、これ、本当に考え方ひとつで、全く捉え方が違う。このことを、分かる人は、分かる。あ、それ、わかるぅ~~~~~~~~!ってやつだ。
もう、あれを飲まなくて済むんだ。もうあれとは縁を切ったんだ。嬉しいなあ。はっははは!という気持ちだ。もっと例えると、毎月家計を圧迫していた借金を完済したような気分かな。やっと、払い終わった!もう二度と借金はしないぞ!(この例えの借金は、家のローンのように、払った代償としてのモノが残る借金ではなく、ギャンブルのような浪費の借金だ)
もちろん、最初の内はやせ我慢100%かもしれない。でも、その内に、飲んでいた時の辛さと、飲んでいない今の快適さを天秤にかけて、もう飲まなくて済むなんて、何と幸せなことだろう、と、心底から感じる日がきっと来る。今、私にはそれが来ている。
これは、飲酒欲求の有無や強弱とは関係無い。飲酒と言う習慣を、個人がどう捉えるかということだ。酒と言う飲み物は、自分にとって一体何なのか。
今日のニュースで、北海道選出の道議会議員(65)が、国際線の飛行機の中で、飲酒してトラブルを起こし、辞職願を提出したそうな。65歳にもなって、酒ぐらい飲まずにいられないものかね!と思うけど、飲まずにはいられないんだよね(笑)飲酒習慣を、酒そのものを、世間の人は甘く見過ぎているのだ。
{追記:あたかふさんからのコメントで知ったのだが、つい数日前のニュースで、静岡地検の検事正(57)が、酔っ払って、部下の女性職員にセクハラをした。本人の弁「酔っていて覚えていない」覚えているわけないよ。大脳が麻酔されてるし、そもそも海馬が仕事してないから(笑)頭に詰まった法律で、しっかりと自分を裁いてほしいものだ}
酒を断っている人は、こんなトラブルの元が詰まった毒入り飲料を飲まずに済む幸せを噛み締めよう!
3年前、まだ義父が元気だった頃撮影した花火。
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