去年の3月に思い立って飲酒生活に終止符を打ってから、自分の心境を毎日ブログに綴ると共に、ネット上のあらゆる関連サイト(医療関係、ブログ、その他)の情報も閲覧してきた。
私と同じ時期に酒を断ち、同じように断酒ブログを立ち上げておられる方もいる。同じようにそのまま飲まずに踏ん張っておられる方は、素晴らしい。家族の方が身内の人の断酒の模様を綴っておられる場合もある。
それらのブログを見ていると、本人が綴る場合は、問題飲酒を自覚しているので、何度かスリップがあったとしても、大体は七転び八起きで、脱線しても、また本線に戻る。ところが、家族が綴る場合、本人には確固たる自覚がない場合が多く、そもそも本線を走っていない。
各人各様のアルコール人生であろうが、アルコール依存症という病気という点では、同じだ。体内に菌がいたり、癌のような病巣があるわけではない。頭の中に、アルコールによる幻想的な世界が強固に構築されてしまっているのだ。実に厄介な病気である。
アルコールに魅入られた人は、死に神に魅入られたのと同じだ。
誰かに頼まれたわけでもないし、脅されているわけでもないし、強要されているわけでもないのに、毎日飲んでいる。医者から処方された薬は、きちんと飲まないのに、酒だけは欠かさず毎日飲んでいる。
恐ろしいことに、ひたすらに、酒で終わる人生を一直線に進んでいる。丸で、ブレーキの壊れた暴走列車が、終点が崖の手前で途切れている線路をひた走るようだ。先に終着駅は無く、真っ逆さまに転落することが分かっているのに。転落する、その直前まで酒に酔っていたいのが本心なのだ。
これぞ、酒で終わる人生だ。
断てば、違う人生が始まる。。。のだが、断つことが怖い。今までの生き方をそのまま続けたい。生ぬるい酒の海でずっと”お酔い”でいたい。これが、飲んだくれ人間の本音である。
もちろん、100歳になっても適量の酒を毎日楽しみ飲んでいる長寿の方もいらっしゃるが、こればかりは、私などには見習うことが出来ない習慣である。
問題飲酒者が、酒浸りから酒離れへ、ひとたび覚醒すれば、それまでの歪んだ生活から、解放される。自分の断酒の修行として、日々ブログを書き始めた頃の、まだ飲みたくてたまらなかった心境が嘘のように、最近は穏やかな日々が私に訪れている。
昨日の記事で思ったのだが、子の親離れ、親の子離れという時期がある。その意味で、いい大人がいつまで酒浸りでいるのかということだ。自分の酒離れ、が必要なのではないか。
いつまで酒に自分のお守りをしてもらう積もりなのか。いつまで自分の人生を、得体の知れない酒などという液体に預けておくのか。そんなものから自分の人生を取り戻して、もっと自由に生きたらどうか。と、覚醒した私は、思う。
まあ、覚醒したところで、それがアルコール地獄からの免罪符として人生の終わりまで有効ということはなく、一口の酒で元の木阿弥なのである。これは、これで、そういう病気なので、仕方がない。
しかし、自覚し、やめようと決意した人は、途中でスリップしても、何度でもチャレンジする。これは、確かだ。
最後に、今日見つけた、素晴らしい記事へのリンクを貼っておこう。
『酔っぱらい天国日本を変えよう! WHOレポート「どこまでも有害なアルコール」日本政府も、酒造メーカーもアルコールの害、酒の害を真摯に受け止めよ!』
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