先日、茨城県の御前山村青少年旅行村で、女子大生が急性アルコール中毒で亡くなったことを記事に書いた。
今日知ったのだが、この女子大生が、問題の飲み会に出る前の(つまり彼女の人生の最後となる)tweetがあることを知った。
このtweetだけでなく、その前の、彼女が大学に入学してからのものも読んでみて、何とまー、飲酒と言う行為を、あまりにも軽く捉えていたことだろう、と、悲しくなってしまった。
そんな事から、ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』という小説の題名を思い出して、今日のタイトルにアレンジした。
このブログに、彼女の、そのtweet内容を掲載することはしない。もし、読んでみたい方は、それなりの検索キーワードで、見つかるかもしれない。
大量に飲むと死に至るというのは、中に毒(エタノール)が入っているからである。飲む量に因って、人の命に関わる飲料と言うのは、普通に売られている飲み物の中では、酒しかない。
酒とはどういう飲み物なのか、一度に大量に飲んだり、長期間連続して飲んだりした場合、身体にどういうリスクがあるのか、全然知れ渡っていない。それどころか、沢山売るために、敢えてその辺りを隠しているような気もする。
これらのことの重要性が、特に若い人には全くと言っていいほど、知られていない。何故、妊婦や未成年者は飲んではいけないのか、と言うところが、かなり曖昧になっている。
売る側は、飲酒のリスクは巧妙に隠し、飲酒という行為のオシャレな感じや、飲むことの楽しさ、酔うことの心地よさ、ばかり強調し、毎日CMを垂れ流し、街中には巨大なポスターを貼り、子供から大人まで、誰でも酒と言うものを肯定的に捉えるよう、洗脳に余念がない。
この、映画にもなった小説の中で、あまりにも浮気性で軽薄な男に、女が置手紙を残し、去って行くシーンがある。その手紙には、こう書かれている。
「私にとって人生は重いものなのに、あなたにとっては軽い。私はその軽さに耐えられない。」
これの『人生』を『飲酒』に置換して、
「私にとって飲酒は重いものなのに、あなたにとっては軽い。私はその軽さに耐えられない。」
と、私は、軽い気持ちで酒を飲んでいる若者に、警告をしたい。
飲むな!とは言わないが、飲むなら、心して、飲みなさい、という事だ。大量に飲むと、死ぬ可能性がある飲み物だということを、頭に置いて、覚悟の上で飲みなさい、ということだ。
でも、私の本音は、世の若者すべてに、「酒なんぞ飲むな!」と声を大にして言いたい。
が、たぶん、「うるせーよ!おっさん!」
と言われるだけなんだろうなあ...
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