今日の夕方、電車の中で見た微笑ましい光景。
生まれて間もない赤ちゃんを、とっても大事そうに前抱っこしている若いパパがいた。ママと交代で抱っこしているのだろう。
これから、夫婦でこの赤ちゃんを育てて行くんだなぁ...と、子供が生まれて、右も左も分からずに、かみさんと二人でオロオロしながら毎日を過ごしていたことを思い出した。
この赤ちゃんのような存在が、自分の中にいる、飲みたいもう一人の自分だ、と、去年の11月にブログを書いた。インナードリンカーと呼称を付けてみた。
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2013年11月22日
インナードリンカーとの対話(断酒253日目)
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そこで、「飲みたいよ~」って、言い出すやつを、インナードリンカーと名づけてみた。一度酒の魔力に負けてしまった人には、必ずこいつが同居しており、追い出す駆虫剤もないし、強制的に立退きを求めることも出来ない。イヤでも、一生一緒なのだ
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断酒後は、試行錯誤して、先ずは飲みたい気持ちとボクサーのように闘い、打ちのめしてみたりしたが、飲酒欲求は必ず立ち上がって来る。これではダメだと、よしよしと、撫でてみようと考えたのが、この時のブログである。
更に断酒の期間が延びて、今はまた別の心境になってきた。
私の場合だが、酒を断ったその日に産み落とされた自分というものを、飲まない人間に少しずつ育てて来たような気がする。
子育ては、人間の赤ちゃんだけとは限らない。自分の子なら、育児だし、ペットでも、赤ちゃんの頃から、我が子のように育てる。基本は同じで、愛情をたっぷり注ぎつつ、してはいけない事、危ないこと、トイレ、食事、生活のルールなどを、少しずつ教える。
自分で自分を育てるという表現もおかしいけれども、どうだろうか、酒を断った日に、新たな自分を生み落し、飲まない自分に育て上げる。
かつて飲んでいた自分が、飲まない自分を育てるのだ。酒が自分に及ぼす害悪を何もかも知り尽くしているからこそ、断った後は、飲まない自分の育成に力を入れてみよう。
その内に、飲まない自分が、かつての飲んだくれていた自分をお守りしてくれる。
ブログ読者のnanaさんから頂いたコメントを読んで、返信の中にも書いたのだが、自分の飲酒に問題があると認めている人は、必ずまた断酒に挑む。逆に、否認する人は、そもそも、断酒などしない。
ある期間酒を断っていて、再飲酒した人は、みなさん、酒はうまくないと言う。それを再確認しただけだと思って、また挑んでほしい!次は、前回の記録の更新を目指して!(これは、正に、なだいなだ先生の本に書いてあったことだ!)
最後に、ここ数日、急に秋が来たように涼しくて、久しぶりに熟睡が出来て、とっても気分がよくて、昨日Twitterにtweetした短歌を6首、再掲載!
『猛暑去り 秋風感じ 断酒後の 我と我が身の この身軽さよ』
『時を待て いつか酷暑も 去るように 飲酒欲求 去る日来るらん』
『酒抜きの 夏を過ごして 秋迎え 益々(ますます)進む 断酒道かな』
『飲んだとて 解毒能力 追いつかぬ トシには勝てぬ やめて正解』
『栓を抜き 全て排出 エタノール 空っぽの身の 清々しさよ』
『飲み続け 老醜さらす リスクより 今からやめて 綺麗に枯れん』
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