快楽を、人は求める。
快楽は、どちらかというと、官能的な意味合いが強い。
この熟語を分解して、「快」と「楽」にして見る。
「快」とは、気持ちがよいとか、胸のすくような感じ。
「楽」とは、心身に苦痛などがなく、快く安らかなこと。
そして、私のように飲酒に問題を抱えている人に向けて、ことわざをアレンジしてみた。(ネタ元は『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の損』)
『飲むは一時の快、飲まぬは一生の楽』
飲んで気持ちがいいのは、エタノールの薬理作用が続いている間だけだ。極めて限定的な時間だけ、脳内で快感を味わうことが出来る。それを更に追加で味わいたければ、薬物(エタノール)を体内に追加注入する必要がある。
一時(いっとき)だけの快の為に、色んな理由をつけて、飲む。
・飲まなきゃ、やってらんねー!
・ストレス解消には、酒だ!
・この一杯の為に、イヤな仕事だってガマンしてるんだ!
・暑い日には、ビールだ!
・こんな冷え込む日には、熱燗で温まろう。
そうして、飲酒者のうち何割かの人は、エタノールの薬理作用を、常に求めるようになる。もはや、一時(いっとき)だけでは満足出来ない。脳が味を占めてしまったからには、自分の意志では飲酒欲求に抗うことが出来ない。
一時の快だったものが、一生の苦になってしまう。これは、昨日書いた、『楽しみが苦しみに変わるとき』の中でも触れている。
一方、飲まない人生には、薬物・エタノールによる直接的な害は一切ない。(悲しく腹立たしいことに、自分が飲まなくても、飲んだ他人による害を被ることはあるが!)
人生の岐路に立ったとき、そこに神様が現れて、「一時の快を求めるのか、一生の楽が欲しいのか、どちらか選びなさい」と言われたら、どちらを選ぶだろうか。
飲んで一時的に別世界へトリップする快楽は、酒を飲む最大で唯一の目的でもあるので、一時の快を選ぶ人も中にはいるかもしれない。飲んだくれていた頃の自分なら、一時の快の方を選ぶはずだ。何しろあの頃は、飲んで酔ったまま死んでもいいとさえ思っていたから。
酒断ちにはこれ!と言う万人向けのやり方や、飲み薬が無い。一生の楽を手に入れたいならば、ここ一番の勝負と考えて、腹を括って挑むしかない。インターネット時代の今は、医療機関にしても、断酒会にしても、実に質の良い情報が溢れている。どう使うかだと思う。
ただ、その勝負に挑むことが出来るのは、自らの病態を認めた人だけだ。否認の病なので、先ず自分自身が気付かなければ何も始まらない。
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