仕事と、その後のプライベートな時間には、本来区切りがあるはずだが、日本の職場(民間も役所も)は、そうではない。
昨日コメントを頂いた方もそうだし、よくブログなどでも、断酒を開始して間もない方が、職場の飲み会では一体どうしたらいいのかと、途方に暮れている。
そう、集団主義を守り維持するための糊(のり)の役割を、酒が担っているのだ。
兎に角、みんなで集まり、グラスにビールを注ぎ、同時に掲げて
「カンパーイッ!」
と威勢よく飲み会は始まる。
注いだり注がれたり、酒がないと人間関係が始まらないような、そんな光景が当たり前に展開される。
かつては、私も、何の疑いも偏見もなく、これが社会人として、働く人間として、一人前の大人として、当たり前だと思い、振る舞っていた。
が・・・
自分が酒を断った後、酒宴の席に出て感じたのは、これらの光景・雰囲気に対するとてつもない違和感だった。
酒を飲まない人が一人でもいると、その理由をとことん追究(追及?)しないではおかないような、異様な執念を持った人が多い。そこでは、酒を飲むのが当然であり、同じものを飲まない人間は異端視されるのだ。
昨日のコメントにも書いたのだが、本来、何を飲もうと個人の自由である。酒席だからと言って、酒を飲まねばならないなどという法はない。そういった席では、ある意味慣習法のような感じで、アルコールを飲むのが当たり前という雰囲気が漂っている。
このことが、飲めない人に無理に飲ませて、急性アルコール中毒で死亡させてしまう、というような事件につながるのだ。
私は、断酒以来、可能な限り飲み会は断っている。それでも、年に何度かはどうしても断れずに出席するしかない場合がある。さて、どうしてきたか。
ここで肝心なことは、周りから好かれようとか、飲み会の(怪しい)雰囲気を壊してはいけないとか、そんなことを考えてはいけないのだ。酒を飲まないと決めた自分が、その飲まない酒がメインの宴席に出るのだ。
ここ一番!先ず機先を制することが大事。
「私は、酒をやめたので、今日からは飲みません!」
と堂々と一度宣言してしまえば良い。
誰かうるさく理由を聞いて来たり、無理に酒を勧めて来たら、どうせ相手は酔っ払いなのだから、腹の中では楽しみつつ、嘘八百並べ立ててやればよろしい。これ、やってみると意外とおもしろい。
「親戚に霊媒師がいるんですけど、私の前世が、アル中で死んだ人なので、今生では酒を断たないと、地獄に落ちると言われました」
とか、
「先日、アメリカのNASAで受けたDNA鑑定で、私の遺伝子には、アルコールを取り入れると、ヤバイことが起こるという結果が出たんですよ」
(アメリカのNASAとDNA鑑定なんて全然関係ないけど・・・ネ、酔っ払いには、そんなことは分かりはしないノダ(笑))
とか、
「こないだ、泥酔して危うく命を落とすところだったんです。それを子供が見ていて、パパ、もうお酒やめてね、と約束したので、もう飲みません」
とか、真顔で言ってみるといいかも。酔っ払いの頭では、それで辻褄が合ってしまい、
「なるほど、それは、大変だな。ジュースにしといたほうがいいかもな」
なんてね(笑)
集団主義の糊の役割をしている酒なんて、ビクビクしていないで、一度威勢よく突っぱねてみればいいと、私の経験からはっきりと言える。
ただ、この日本、酒を飲まないくらいで左遷されたり、不遇な扱いを受けるような職場が、まだまだあるのかもしれない。自分のことを酒から守るのか、それとも、そこで無理して飲んで、酒で人生を終わるのか、何れにしろ、自分で決めるしかない。
真理はひとつ。
酒飲んで酔っ払う人と、飲まずにシラフでいる人。あなたはどちらを選ぶのか。
どうしても出なければいけない、特別な飲み会と言うのもある。もちろん、出席すればいいと思う。但し、だからと言って、普段は断酒しているのに、そこで酒を飲まなければいけない、と言うことは絶対に無いはず。そう思い込んでいるのは、他ならぬ自分自身である。
(本日の写真は、「写真素材 足成」というサイトから有り難く頂き、感謝!こちらは全国のアマチュアカメラマンの方の力作写真が豊富に揃っており、無料で使うことが出来る!他にも、↓↓↓こんな写真が、タダで使える!ブロガーの皆様も、どうぞ)
*広告
↓↓↓※コメント欄は、承認制にしています。すぐには反映されませんが、必ず、読んで承認しますので、お待ち下さい<(.".)>
(まことに勝手ながら、コメント内容によっては、承認の前に、削除することもあります)