特に探したわけでもないが、たまたま、見つけた記事。
2014.9.5 10:08(産経新聞)
『「交差点で動かない車がある」泥酔運転の宇治署員送検、ろれつ回らず』
京都の宇治署警務課の男性警部補(54)が、7月24日夜、交差点の中央でエンジンをかけたままの車内で寝ていたのだそうだ。もちろん、泥酔状態で、ろれつが回らず。この警部補は、懲戒免職になったそうだ。
自分と同世代のおっさんの、飲酒運転事件がとても多い。それにしても、この手の50代で初めて検挙された人って、今までよく捕まらなかったな、と感心する。しかも、子供から見たら「お巡りさん」でしょ、この人。取り締まる側の人が、取り締まられて、捕まってる。
これがシラフであれば、交差点でエンジン掛けたまま寝ていたら、心臓発作とか、脳出血とかの重篤な病気が発症したりした以外にはあり得ない。この状態と、泥酔して脳が麻痺している状態が、結果的には同じなのである。
人をして、こんな情けない状態に陥れてしまう、液体が「酒」、その中に含まれる麻酔作用を持つ主成分の薬物が「エタノール」なのだが、この「お巡りさん」、知っていたのかどうか。
こんな事件を見るにつけても、私は、断つのには、本当に苦労したが、ここまでくると、寧ろ、もう意地でも飲まない。少しでも飲みたい気持ちが湧いてきたら、じっくりと対話する。君が飲みたいと欲するものの正体は何だ?と。
そして、飲まない方を選択し、あの碌でもない飲み物を断った自分を誇りに思い、ホッと胸を撫で下ろすのだ。
(あのまま飲みつづけていたら、危なかったな〜)
(今も、飲んだら危なかったな〜)
その上、私は今、かつて味わって(?)飲んでいた、酒という《エタノール入りの怪しげな液体》を、飲まない生活を味わっている。酒ではなく、それを飲まない生活を、じっくりと味わっている。
深い深いエタノールの眠りから覚醒してみると、これまで振り回されて来た【酒】という摩訶不思議な飲料は一体何だったのだろうか、と思う。
・酒を味わっていたはずなのに、ふと気付いてみると、辛酸な生活を味わっていた。
・飲んだときにはうまかったかもしれない酒が、胃液やら食べ物やらと混ざりあって、胃の腑から逆流する、あの酸っぱくて過激な液体を味わっていた。
・飲んだはずのものを、吐き出す、あの真逆の行為を味わっていた。
・体内に残留するエタノールと、それを肝臓が必死に分解した結果生じたアセトアルデヒドが奏でる、地獄の協奏曲を味わっていた。
金を払って、時間も掛けて、人生までかけて、飲む価値があるのか。
生活からこいつ(酒)を排除すると、なんとまあ、その後の人生の、味わい深く豊かになることか。時間も金も人生も酒に奪われることが無くなるのだ。
飲みつづけている内には、必ず一度や二度の飲酒事故のヒヤリ・ハットする危険な出来事がある。酔いから醒めて、ヒヤリ・ハットだったと気付くわけで、酔っている最中には、そんなこと露ほども感じてはいない。
酒を飲まない生活を、敢えて「不飲酒」と名付ける必要もないなと、最近思う。「断酒」から「不飲酒」になり、今は、「飲まない生活」或いは「酒を思わない生活」になったようだ。
ここ数日、残暑がぶり返し、蒸し暑い。昨夜は久々の、無風の熱帯夜に近かった。けれども、既に炭酸飲料もほしくないし、況してや、ビールなど飲みたいとも思わない。
人それぞれだが、私の場合は、酒を大嫌いになる日々の訓練が功を奏した。嫌いなものは食べたくないし、飲みたくない。
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