最初にお断りをひとつ書いておきたい。
私が発信しているのは、私と同じような、問題飲酒者の方に対してであるということ。そして、中でも一番読んで頂きたいのは、自らの飲酒が病であることを認め、今断酒に挑んでいる方々である。
「酒を見たら毒薬と思え」とか、「酒は毒入り飲料」などと、真実ではあるが、過激(?)なことを書くと、酔っ払ってネットサーフしている最中に、どういうわけかこの断酒ブログに辿り着いた、愛酒家の方から、「ふざけるな!」と、批判のコメントを必ず頂くので。
飲酒をコントロール出来ないので断った人と、酒を愛し飲みつづけている人との間には、絶対に埋めることの出来ない、底知れぬ峡谷が存在するのだ。同じ液体でも、断酒家にとっては毒薬であり、愛酒家にとっては良薬(?)なのである。
ということで、愛酒家の方から批判コメントを入れてもらっても、読む前に、チラッと見て削除するだけである。これまで何度か返答したことがあるが、今後は、一切無い。酒を嫌い避けている私と、酒を愛し毎日摂取している方とは、水と油である。接点が無い。
さて、本題に戻ろう。
タイトルは、諺の「人を見たら泥棒と思え」をアレンジしてみた。
昨年(2013年)の8月7日『趣味は断酒(断酒146日目) 』という記事では、
「酒を見たらオェーッと思え」だったが、もっと進んだ。
本家「泥棒と思え」のほうの意味は、他人を軽々しく信用せず、先ずは相手が泥棒だと疑ってかかるくらい用心しなさいということ。
「酒を見たら毒薬と思え」これは、私が昨年の断酒開始以来、どうしたらこの麻薬を断てるか、日夜工夫した結果辿り着いた結論である。
毒薬は、取り込めば命取りである。酒も、アルコール依存症はたまたアル中である私たちには、毒薬・劇薬の部類に相当する。何故ならば、断っていればこそ本来の自分であるが、再びそれを身体に入れてしまえば、あっと言う間に悪化するからである。
昨年から約1年半、それまでは自分のことなどと感じたことすらなかった、世の中のアルコール依存症関連の情報を、私の中にかなり取り込み、学んできた。酒の害も様々であるし、酒の断ち方も、人それぞれである。
ただ、ひとつだけ、アルコール依存症とそれを取り巻く世間について・・・私がずーーーーーっと疑問に思っていることがある。疑問というより、違和感に近いのだが。
なぜ、我々は被害者のままなのか、ということ。酒がのさばったままで、被害をうけた人たちが、なぜか小さくなっている。世の中も、アルコール依存症の人々を蔑視しているような風潮がある。
もっと言うと、例えば、カルト宗教に例えてみようか。この宗教をSAKEとする。それを広めている連中を、Sとしよう。それに引っかかって信者となった人々を、Aとしよう。(つまり酒関連業界がSAKE、人々がS、我々アル中がA)
言葉巧みにSはAにカルト宗教SAKEを勧める。Aは、その教えに感動し、熱心な信者となる。Aは、SAKEを信仰するため、日々大量のALCという液体を買い、酔いという実践に励む。
ところが、その弊害たるや、身体はボロボロになり、仕事も休みがちになり、家族とも不和になり、ただただ、SAKEに貢いでALCばかり買い飲んで酔っているだけで、本人の今まで築いてきた生活も信用も、全て失いそうである。
それに気付いた人たちは、抜けたくても中々抜けられないが、何とか脱出する。そしてカルト宗教SAKEから抜けた人々の会を作り、二度とSAKEには加入しないように、お互いを励ましあう。
しかし、カルト宗教のSAKEは、野放しのままである。
この辺りが、私のおかしいと思うところだ。
被害者は、もっと、声を上げたらどうだろうか。
よく、アルコールの前に《無力》な自分を認める、というのを聞くが、私には気に入らない。逆に言えば、アルコールに対して《有力》な人なら野放図に飲んでいいということにならないのだろうか?
酒を普通に飲んでいる人たちと、飲めない事情が生じ止めた自分たちを、同じ「飲酒と言う土俵」に置いて、一方は酒に強く有力で、他方は酒に弱く無力だ、として、自分たちを卑下しているような感じがしている。
そうではないのだ。そもそも私たちは、飲酒と言う馬鹿げた土俵から降りて、「断酒と言う土俵」に上がったのだ。そう考えると、そもそも土俵が違うわけである。
同じ土俵で考えてしまうから、アルコールに対して《無力》な自分という考えが生じる。そうなると、街中でそれらの飲料を見かけた時、飲みたくても、自分は《無力》だから飲んではいけない、ということになる。うまそうにアルコール飲料を飲んでいるアルコールに対して《有力》な人を見る度に、アルコールに対して《無力》な自分は、彼らが羨ましく、《無力》な自分が惨めになるのではないか。
土俵云々の前に、実は、《無力》も《有力》もないのだ。アルコール(つまりエタノール)は、麻酔作用があり、かつ致死量を持つ薬物なのである。《無力》でない人でも、致死量を越えて摂取出来る代物ではないのだ。この辺りが、抜けてしまい、堂々と売られている酒のほうがのさばっているのだ。
思うのは勝手なので、私は、酒を見たら毒薬と思い、とにかく避けている。効果てきめんである。私が酒を飲んでいる人を見て思うのは、「わ!毒を楽しそうに飲んでる!大丈夫か、あの人・・・」と言うこと。背筋が寒くなる。羨ましいどころか、気の毒に思えてならない。同情しているのである。
私が思う断酒のポイントなので、何度もしつこく書く。
酒を本当に断ちたいなら、酒を嫌いになるのが一番手っ取り早いし、それが窮極の考え方だと思う。好きで愛したままで嫌いになるということが出来るのだろうか。酒を飲み物と思っている内は、まだまだ甘い。
『酒を見たら毒薬と思え』
(冒頭にも書いたが、これらは、飲酒《アルコール》をコントロール出来ない私のような方々に向けてのメッセージである。間違って愛酒家の方の目に留まっても、くれぐれも無視して下さるように・・・)
最後に、今日撮影してきた、花と蝶を。(♪花が女か 男が蝶か なんて演歌があったような気がする(笑))
↑↓ずーーーっと、こんな感じで、私と見つめあっていた。カメラをかなり近づけても、全然動かず、ポーズをとっていた。
↑紅シジミ(たぶん)
↓ヤマトシジミ(たぶん)
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