今日は、かみさんの達ての希望で、平日ながら、秩父路へ。今年は、12年に一度の秩父34か所観音霊場の総開帳ということで、それぞれの寺の秘仏の観音様を見ることが出来る。
春から何か所ずつ回り始め、何とか11月までに34か所全て巡ろうという事で、私よりもかみさんの方が気合いが入っている。
四国八十八か所の霊場巡りは有名であるが、秩父にも34か所霊場巡りがある。四国は遠いが、秩父なら、日帰りできる。
山の中を歩き、お寺を見て回ることが楽しいなんて、若い頃は考えたこともなかったが、今、本当に楽しい。
いきなりの、額縁の写真は、途中の延命地蔵の祠に飾ってあった。帰宅して調べたら、親鸞上人の歌であった。(薄っすらと、カメラを構える私の首から下が写りこんでいるが、お気になさらぬよう・・・)
『明日ありと 思う心に 騙されて 今をむなしく 過ごす世の人』
(あすあると、と額縁には書いてあるが、あすありと、が本当らしい。まー、どちらでも、意味は通ずる。)
で、上記の歌を調べたら、こちらも載っていたので、今日のタイトルに使った。
『明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは』
どちらも、昔どこかで聞いたような、見たような気がする。そして、どちらの歌も、同じ意味のことを言っている。今日の続きで、明日も来ると、当たり前に思っているかもしれない。もっと言うと、明日の翌日も、更にその翌日も、ずっと当たり前に来ると思っていることだろう。
でも、そうではないんだよ。今日をどう生きるんだい?
という事だと、私は思った。
実は、今日のブログは、題名だけ朝決めておいたのだった。
『インスタント天国とリアル地獄』(今朝考えた仮題)
何を書きたかったかと言うと、飲酒による心地良さは、あまりにも手軽な、インスタントラーメンのような天国であり、束の間の天国が終わると、今度は、インスタントではない、手の込んだ地獄が待っているぞ、と言うような内容を考えていた。
しかし、十数キロ歩いてお寺を巡る途中に出会ったこの額縁を見て、今日のタイトルに替えた。
つまりは、この歌に全て表されているからである。
instantという単語には、インスタントの他に、瞬間とか、いますぐ、などの意味があるが、飲酒は正に、instantな快感を味わうものである。今すぐ、心地よい瞬間が、インスタントに手に入る。
これは、「明日ありと思う心」がそうさせているのだ。そうして私は、「今をむなしく過ごす」ことばかりしていた。観ていたのは「仇桜」であって、「夜半に嵐」が吹いた。
インスタントに、手軽に手に入れた快楽の代償は、手の込んだリアルな地獄であった。
そんなわけで、この親鸞上人の歌を二つ、パソコンの付箋ソフトに入れて、いつもデスクトップに表示しておくことにした。
今日も沢山写真を撮影したのだが、アラフィフのおっさんは疲れてしまい、編集する元気がないので、あまり見かけることがなく珍しい黄色の彼岸花だけ、どうぞ。残りは、明日以降、ちょびちょびUPする予定。
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