このブログを読んでくださる方の多くは、自分で酒をやめようと考えている方、自らの意志で断酒の実践に踏み切った方のような気がしている。
書いている私も、自ら決意し、実行し、継続している。
親兄弟、配偶者、子供、その他の親族、友人・知人、先輩・後輩などから、「酒をやめたほうがいいよ」と言われて決めたわけではない。
たまに酒の愛好家が、酔っ払いネットサーフの迷走の末、このブログに辿り着き、呂律の回らない文章で「ふざけんなよ!」というコメントを置いて行くこともあるが、そういうことは極まれである。
心の全てがアルコールに支配され、それ以外の事を考えることが出来ない、重度の依存症の人は、ブログなど書かないし、読まない。起きている時間は、ひたすら飲んでいる。その家族の方が、手記を書いたり、ブログを書いたり、ネット上の相談コーナーに投稿したりしているのを読むと、こちらまで切なくなる。
冒頭に書いたように、今現在飲酒中であっても、それを自ら問題視しており、やめたいという思いが少しでもあるなら、まだ間に合う。自らの意志で、酒を断つ選択をして、断酒の実践へと進むことが出来る。
何度も書いているが、その方法は、各人が考えるしかない。医療機関へ行って、抗酒剤を処方してもらう事も出来るし、断酒会やAAなどのメンバーになる事も出来るし、かなりキツイが、私のように独歩(と言っても、ブログに助けられつつ)で挑むことも不可能ではない。
恐ろしいのは、ウロウロしている内に、更に過飲酒が進み、人生の全コントロールを酒に奪われてしまう事だ。そこまで進むと、もはや頭の中には酒しかなく、家族の言う事など効く耳持たぬようになる。そうなると専門の医療機関に入院して治療を受けても、アルコール依存からの生還率はかなり低いそうである。
やめよう・やめなければ、という気持ちが少しでもある内に、例えば、この文章を読んだたった今、「よし、今だ!」と決断し、飲みかけの酒やら、買い置きの酒やら全部捨ててしまうところから始めるとか。
この一杯を飲んでからとか、家にある酒を綺麗に飲んでからとか、明日からとか、来月の1日からとか、来年の元旦からとか、条件をつけて先延ばししている内に、どんどんと問題飲酒の泥沼の深みにハマって行くのだ。そして、ついには、もがくことも出来なくなる。自分が酒を飲んでいるのか、酒が自分を飲んでいるのか、分からなくなる。
まだ、間に合う内に、自らの意志で酒をやめよう。
ただ、この世の中、酒を飲ませようとする誘惑が多すぎる。身体に悪いとかの条件を一切付けずに、無条件に酒をやめよう、と言うキャンペーンは見たことも聞いたこともない。私が勝手に「酒をやめてhappyになろう!」と宣伝しているだけかもしれないな(笑)
思い立ったが吉日と言う。今日が吉日かも...
「思い立ったが吉日」の説明に、英語だとこんな表現があるよ、と出ていた。
There is no time like the present.(現在に勝る時はない)
Never put off till tomorrow what you can do today.(今日できることを明日に延ばすな)
(今日の写真は、久しぶりに、今は亡き義父の作品。4年前の、東北の紅葉)
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