今日は朝早く電車に乗って、今年12年に1度の総開帳の秩父へ行ってきた。
秩父三十四ヶ所観音霊場巡りは、あと11月に2回行けば、全ての箇所のお参りが終わる予定だ。
断酒以来、早起きは毎日のことなので、全然苦にもならず、スパッと起きて、ちょっとかみさんの弁当作りの手伝いなどしたり、洗濯物を干したりなどの余裕があった。そこそこ家事をするオヤジに生まれ変わった。
早朝の電車では、前回もそうだったのだが、今日も、私たちの座った席の対面に、飲んだくれの青年が眠りこけていた。手にした長財布が足元に落ちたのにも気付かず、身体は斜めになっていた。
乗り換える時に、財布を拾い、青年の肩をポンポンと軽く叩き、「財布落としてるよ!」と渡してあげたら、青年はキョトンとした顔で、「あー!はい!すんません!」と受け取り、また寝てしまった。その時の彼の息の、アルコール臭かったこと!
学生風だった。朝までどこかで飲んでいたのだろうなあ...きっと。
秩父へ向かう電車へと乗り換えながら、かみさんと話した。あの青年は、自分たちの子供ぐらいの年齢だけれど、あれでは、財布を盗まれても、下手したら寝ている間に命を盗られても、気付かないかもね、と。
(カラスウリ)
やっぱり、生活に酒なんか要らないし、無いほうが安心である。飲むと、酔う。特に、加減の分からない若者には、飲酒は危険である。本来は自分の適正な飲酒量が分かりそうな、私のようなオヤジでも、一旦飲み始めたら、コントロールなど出来やしないのだ。(もちろん、きちんと”適正飲酒”出来る方も存在する。)
外でも、家でも、酒(アルコール)とは関わらない、酒なし生活が一番である。帰宅も安全。朝も爽やかに起きることが出来る。生活が、自由自在なのだ。
前の晩飲み過ぎて、翌日の仕事とか、家族との予定に穴を開けてしまったという経験を持つ方は多いのではなかろうか。行かなけれはならないと焦りつつも、頭は痛いし、吐き気はするし、そもそも身体が動かない、という情けない状態だ。
こんな不本意なことが、一切無くなるのだ。
正に、酒なし生活\(^o^)/バンザイである。
本尊である観音様の扉を開いて、その御手に紐をつなぎ、その紐が、本尊の前に立てられた祈願塔まで延長され手綱と結ばれる。その手綱と手をつなぐことで、観音様との縁がつながると言う事である。
お地蔵様。
お寺に飾ってあった。
「希望に起き 歓喜に働き 感謝に眠る」
「人の世の 一喜一憂 気にもせず 今日も笑顔の お天道さま」
素晴らしい言葉だ。
酒飲んでたら、起きた時に頭痛はあっても希望は無いし、歓喜どころか吐き気と共に働くだろうし、酔っ払って眠るから感謝なんて考えもしないのだ。
この歌にあるお天道様のように、人の世の一喜一憂なんて少しも気にしないで、いつも笑顔でキラキラ輝いていたいものだネ。
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