適量でピタリとやめることが出来れば、大丈夫かもしれないが...
『やめられぬ 酒は地獄の 一丁目 飲んで飲まれて 奈落の底へ』
地獄の一丁目は、割と近くにある。多くの人は、そのことに気付かない。私も全然気付かなかった。
何故かというと、飲みだして酔い始めると、天国の一丁目にいるような錯覚に陥るからである。ここが、酒の麻薬的であり覚醒剤的であるコワイところ。脳内に変化が起きて、緊張が弛む。
産経新聞の今年(2014年)10月10日のネット記事で、次のような地獄を見つけた。
《泥酔の末悲劇…「路上寝込み」死者、再び増 全国ワースト1位の埼玉》
埼玉県内では、「路上寝込み」による死者数が今年(2014年)、10月8日現在で8人を数えたのだそうだ。死亡した8人はいずれも泥酔状態で、自宅近くの路上で寝込んだり座り込んでいたところを、車に轢かれ、亡くなったのだそうだ。
全国では、もっと数が多いはずだ。47都道府県で集計すれば、年間で100人以上はいるのかもしれない。全国のデータを探したが、見つからなかった。
家で飲んで泥酔する分には、交通事故に遭遇することはないだろう。しかし、仕事の帰りなどに、外で飲んだ場合、その飲酒量と酩酊度合にも寄るが、「路上寝込み」となることもある。
私も直近で経験している。昨年の酒を断った日から遡ること2か月前の事である。
例えば、家がすぐ目と鼻の先でも、そこまで辿り着けないのだ。私は自分の集合住宅の目の前の入り口で寝込んでいた。鍵も持っていた。仮に鍵が見当たらなくても、部屋番号を押せば、家族がロビーのドアを開けてくれた筈だったのに。
それは、1月の半ば、真冬の出来事だった。幸いにして、道路からは引っ込んだところだったので、警備員さんが私を見つけて、家族に連絡してくれた。
何度かコメントへの返信で書いたし、本文でも書いたかも知れないが、私の兄の友人も、「路上寝込み」で、車に轢かれ、亡くなっている。それは、深々と雪の降る、真冬の真夜中の事だったと言う。酒が大好きな兄の友人は、その日も何軒もハシゴして、かなり出来上がっていたらしい。
路上で寝込んだ彼の上に白い雪は容赦なく降り積もり、そんな気象条件の中を走る車からは、一面白く化粧した道路しか見えなかったはずである。
寝込んだ人が悪いのか、轢いた車が悪いのか・・・
酒が悪いのだ。これだけは、はっきりと書く。
自己責任で片付けられる問題ではない。飲んでいる内に歯止めが効かなくなり、更に大量に飲むと、酩酊し、足元が覚束なくなり、果ては、脳が麻痺する飲み物が酒である。
真夜中に過飲酒の果てに「路上寝込み」をして、車に轢かれ亡くなった場合を考えてみると...
「路上寝込み」をしていた人=Aさん。
Aさんを車で轢いた人Bさん。
Aさんの家族(両親、配偶者、子供、孫、など、それぞれいる場合)
Bさんの家族(両親、配偶者、子供、孫、など、それぞれいる場合)
少なくとも、これだけの人の人生が暗転する。
実際の例だと、夜間、被害者が酩酊して歩行中に車道にしゃがみ込み、大型トラックに轢かれ死亡したケースでは、平成18年大阪地裁での判決で、この被害者の過失割合が40%とされたそうだ。
夜道を普通に車で走っている時に、例えば目の前に暗い色のスーツを着た人が横たわっていたら、急ブレーキでも間に合わないだろう。それでも、自動車側が60%悪いと言う事になってしまうのだ。
「路上寝込み」していた人も、車を運転していた人も、お互いにまさかこんなことになるとは考えもしていなかったことだろう。そこに介在したのは、その依存度では麻薬、覚醒剤と並ぶ、酒(アルコール)という液体である。
『未練断ち スパッとやめた アルコール これで安心 さらば酒害よ!』
冒頭の写真は、秩父に御座した品のあるお地蔵様。こちらは、綺麗に咲いていたバラ。
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