酒が・・・
どうした?
・・・視界から消えた(ような気がする)
飲みたくてたまらなかった頃のブログを読み返すと、酒そのもの、それを造っているメーカー、飲酒に関してはほぼ野放し行政の国、に対して、随分と不平・不満・悪口を書き連ねている。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、と言うやつで、「酒の悪口療法」で断酒を遂行していた私には、酒に関するあらゆるものが悪に見えたものだ。
これだけ書けば、間違ってこのブログに訪問した愛酒家の人は、「愛しの我が酒に何てこと書いてやがんだ!この野郎!」と憤慨するのも分かる気がする。
今でも、酒、メーカー、国、に対する考え方は変わらない。が、私ひとり、個人的にという点では、酒など、もうどうでも良くなった。勝手に造って、売りまくればいい。私は飲まないから買わないだけという感じ。酒は、ほぼ視界から消えたようだ。
いつ頃までかはっきりしないが、まだまだ飲みたいのを我慢していた頃は、街を歩いていて目に入る立ち飲みとか居酒屋が気になり、ちょっと中を覗いて、頭の中では垂涎の的になっていることに気付いて、イカン!と振り払っていた。
真夏のギラギラした太陽の照りつける日中、タレントがうまそうな顔をして手に持つ冷えたビールのドデカイ看板を見て、思わず喉がゴクリと鳴ったり。未練たっぷりの日々を過ごしていたわけだ。
酒は大嫌い!と、ブログで唱えつつも、ビールや缶酎ハイの新製品が並んでいると、ちょっと気になって、手に取ってみたりしたこともある。
今は、酒は飲まないので、買わない。その生活が長くなり、自分が飲む対象ではないので、関心が無くなった。酒を気にすることが無くなった。目の前にズラリと並べられて、さー、お好きなのをご自由にどうぞ、と言われても、素通り出来る。
・・・と、個人的には上記のとおりなのだが、世の中、そう単純には行かない。
私も家族も含め、日本全国、果ては世界中の、酒なんぞ一滴も飲まない人たちが、浴びるように飲んだ輩の運転する車に轢かれるかもしれない。酔っ払いの起こす犯罪に巻き込まれるかもしれない。酒の被害者は、命を奪われることが多い。
自分が飲まなくても、他人は飲む。しかも、圧倒的に酒を飲む人が多く、酒による犯罪や被害が全然減らない。
この辺り、『酒類が国民の生活に豊かさと潤いを与えるものであるとともに、酒類に関する伝統と文化が国民の生活に深く浸透している一方で』などと法律で謳っている国であるから、飲まない人が自らを守るしかないが、それでも毎日のように酔っ払いによる飲酒運転や暴力などがある。
先日の東京のJR大久保駅での、泥酔自衛官による暴力事件なども、ただ肩がぶつかっただけで、「線路に落として殺してやる」と、線路に被害者を投げてしまったのだと言う。本人は取り調べに対して、「全く覚えていない」と答えているそうだ。
私は酒などどうでも良いが、飲んで酔っ払っている人は必ずいるので、十分注意しようと思っている。こんな人(笑)→
度々当ブログに登場する、関西弁のCさんである。
今日、ボクシングを観戦に、後楽園ホールへ息子と行ってきた。それで、更新が少し遅くなった。私の隣で、Cさんは、グビグビ。
私と息子は、ファイナルの試合が終わったあと、すぐに帰宅した。
聞いてみると、Cさんは、会場へ来る前に缶ビールロング缶を3本くらい、来てから更に3本を飲んでいた。持ちこんだ缶ビールを飲み干すと、追加購入でウーロンハイを2杯飲んで出来上がっていたのだが...
ちょっと用があって、帰宅してから連絡をしてみたら、どこかの居酒屋で更に飲んでいるとのことだった。あな、恐ろしや!
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