50代に入っても、人間、悩み、迷う。
10代の頃は、大人になれば、今抱えているような悩みは無くなり、もっと人生が楽しくなるのかな、などと思っていた。20代、30代、40代と、歩んで来たが、生きている限り、いつだって順調と言うわけには行かない。
そこで、酒で毎晩、一番手っ取り早く別世界へと・・・こんな安直な方法では、何も解決しないし、悪化の一途であった。
一体、酒の他に、この気持ちを楽にしてくれるものがあるのだろうか。あるかないかは知らぬが、アルコールと言う薬物に頼るのは、良くない。これだけは、はっきりしている。
私は若い頃から、禅僧の、あの飄々として捉えどころがなく、それでいて淡々と生きている姿が好きで、今でもたまに禅の本を読む。
私が好きな禅僧の中に、至道無難と言う禅師がいる。江戸時代初期の頃の人である。法灯では、あの白隠禅師の、祖父に当たる方である。
この人は、関ヶ原の宿屋の主人だったのだが、高僧が京都から江戸へと旅する時に弟子にしてもらい、家業をこなしながら日々修行に励んだ。五十歳の頃、どうしても出家したくて、わざと大酒を飲んで、家人から疎まれるように仕組んだらしい。そこへ、また師の高僧が通りかかったので、これ幸いとばかり、着の身着のまま江戸まで着いて行き、そのまま念願の出家剃髪をして、晴れて僧になったと言う。
私に禅の悟りなど分かるわけがないが、人生の道しるべとして、先達の言葉は深く胸に響くものがある。今日、たまたまあるWEBサイトで禅師の言葉を読んでいたら、次のフレーズで、私の目が留まった。
「迷いてはこの身に使われ、悟りてはこの身を使う」
この身に使われるとは、湧き上がる飲酒欲求に負けて飲んでしまうことだな。酒を断つ前の私だ。迷っている時に大酒を飲み、更に迷う。
この身を使うとは、身体が飲みたいよと言っても、飲まないでいることだな。酒の本質が自分にとって何であるか悟ると、少なくとも酒に関しては自分を制御出来る。
酒を飲まない生活も板に付いて来たので、もう一つ何かやってみようと思い、今、一日一食に挑んでいる。南雲吉則という医師が書いた本を読んで、なーるほど!と納得し、いきなり始めて、今日で10日ほどになる。
朝は元々食べなかったので、昼を抜くわけだが、そんなに辛くない。夕飯がとてもうまい。それと、腹の調子がとても良い。睡眠の質が更に上がっている。ひと月ばかり続けてみて、どんなものか、ブログに書いてみようと思っている。
食欲もコントロール出来るようだ。腹が減っても、食べず、空腹を楽しむ感覚が、何だか新鮮である。この身に使われず、この身を使うことの面白さがある。
人生を、トンネルで表現してみた。やっと抜けた!と思ったら・・・
わ!
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