今日の気持ちを俳句に仕立て、タイトルにしてみた。
今日の東京は、一日寒かった。途中から雨が降り出し、更に寒くなったようだ。飲んだくれマンの頃の私なら、こんな日は、居酒屋へ繰り出すか、自宅の暖かい部屋で、鍋でも突きつつ、先ずは、冷たいビール。それから、熱燗か、焼酎お湯割りでも飲んでいたことだろう。
鍋とか、ビールとか、熱燗とか、焼酎お湯割りなどと書きつつ、想像してみたけれど、寒い日に鍋は食べたいが、後ろに並べた三種類の酒は、飲みたいとは思わない。これは、正直な今の心境である。
1年前の今頃はどうだったかというと、強がってはいたが、内心では、やっぱり酒を飲みたかったというのが本音だった。
『やせ我慢 飲んではならぬ 冬の夜』(←俳句に仕立てると、こんな感じだった)
飲酒の道から車線変更して、一緒に、断酒の道を走って下さる仲間の方が最近また何人か加わったようで、嬉しい。但しこの断酒の道、最初は全然スピードが出ないし、勝手に車が飲酒の道へ戻ろうとしたりで、全然快適な走行ではない。イライラして、ついうっかり、飲酒の道へ戻ってしまう危険性もある。
ちょうど一年前のブログを読み返してみたら、
《『新装版 アルコール中毒 物語風』読書感想文(断酒251日目) 》という事で、なだいなだ先生の本を読んだ感想を書いていた。先生の言葉として、下記の文言を本から抜き出している。
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【自立させることによって酒が止まるのではなく、酒をやめる努力を通じて、自我が確立されていくのだ】
【断酒は自我確立によって目指す目的ではなく、あくまでも手段なのだ】
【たどり着く場所ではなく、積み重ねていく努力なのである】
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酒をやめる努力を通じて、自我が確立される。断酒はあくまでも手段である。断酒とは、辿り着く目的地ではなくて、積み重ねていく日々の努力の事なのである。
これを書いた断酒251日目から、丸1年経ってみて、本当に良く分かる。その通りである。
断酒を始めたばかりの方々に、ほんの少し先に始めた私からちょっとお伝えしたいことは...
先は長いし、数々の試練が待ち構えている事が予め分かっている。予想される試練とは、ズバリ、断ったはずの酒を飲みたい、飲みたくてたまらん!それを我慢しなければならないのはとてもツライ!、と、たったこれだけなのだ。が、一旦強烈な飲酒欲求の波に襲われると、人生で最大の苦痛のように感ずることだろう。
これを乗り越えるのは自分。何とか工夫して、何度も襲い来る飲酒欲求の大波小波を、やり過ごし、飲まない一日を積み重ねるしかない。とっても地味なチャレンジである。
けれども、3か月、半年、1年、と断酒の期間延ばして行くに連れ、その果実が、計り知れないものである事に気付くはず。
もちろん断酒さえすれば未来は幸せとか、バラ色とか、そんな事ではない。酒の回っていない頭で、人生の難題に対処したほうが、飲んだくれのままよりは、良い方向へ行くはず、と言うくらいかもしれない。でも、この変化が、その後の人生には、とても大きいのだ。
先ずは、自分にとって害あるもの(酒)ときっぱりと訣別する。それから時間をかけて蓄積された毒(エタノール)を抜き、身体を浄化する。そして今後一切、毒(酒)を身体に入れない。
さあ、行ってみよう!
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