当ブログには、『酒をやめてhappyになろう!』と言う名称を付けて、これまでずっと書き連ねて来た。
意味的には、過剰な飲酒で問題が起きているのだから、それをやめて、今までの生活を改めて、それから《努力して》happyつまり幸せになろうよ、と言ったところである。
昨日の記事に、読者のここさんから
「のみすけさんは、呑まなくなれば幸せですか? 」との質問を頂いた。
今日は、私なりの考えを、ここに書いてみたい。
断酒と幸福との関連付け、意味付けを考えた時、遥か昔の、たぶん高校生の頃に習った必要条件・十分条件と言うのを思い出した。
ただ、これを応用して必要条件や十分条件で括ってみたくても、
二つの条件「断酒」「幸せ」において、「断酒⇒幸せ」も「幸せ⇒断酒」も、人間が生きる上では、論理的に真にならない。
何を言いたいかというと、酒をやめただけで幸せになる事は、たぶん無いと言う事である。
ここさんがコメントに書かれているように、
「お酒は、現実逃避のための手段なので、その手段を辞めた時、本質的な問題そのものを解決しなければなりません。」
ここで、ひとつだけ、とても明確なことがある。
それは、今抱えている悩みや、不満や、不安、その他の諸問題を、酒を飲むことによって解決出来るか、出来ないか。それらのことが原因で飲酒に走ること自体、逃避に過ぎず、アルコールが脳に達した時に一時的に忘れているだけで、アルコールが分解されて体外に排泄されると、またそれらの問題は戻って来る。
ブーメランのようでもあり、キャッチボールのようでもある。
酔っている時は、問題ボールをアルコールへと投げる。酔いから醒めると、アルコールから問題ボールが投げ返されてくる。自分が投げたボールが戻って来るわけだから、受け止めないわけには行かない。しかも、酔う前に投げたボールはゴルフボール程度の大きさだったはずなのに、投げ返されて見ると、野球ボールぐらいに大きくなっている。
アルコールとのキャッチボールを繰り返す内に、酔い醒めにアルコールから投げ返されて来るボールは、どんどん大きく重くなりこそすれ、小さく軽くなることは無い。
それでは、私なりの考えを・・・
Q.酒をやめるだけで幸せになるか?
A.ならない。けれども、問題飲酒者は、酒を飲み続けている限り、不幸である。幸せへの道のスタートラインに立つには、酒を断つことが最低条件である。
要約すれば、たったこれだけ。
私は最近、こんなことを考えている。人間は、目が見えて、音が聞こえて、鼻から呼吸が出来て、口から食事が出来て、喋って意思を伝えることが出来て、自分の足で歩いて好きな所へ移動出来て、何の苦労もなく排泄出来て、どこにも痛みを感じずに生活出来る...これだけで本当は幸せなのである。
上記のことは、生まれつき障害を持っている人や、病気や怪我で機能障害になってしまった人にとっては、全然当たり前ではないのである。
それを実感した上で、自分の抱えている悩みや問題をどうしたらいいか、素面の頭で、逃げずに考え、対処するしかない。きっと何とかなる、なるようになる、と私は考えている。
そして、いつか幸せになろう、ではなくて、酒が身体に一滴も入っていない、たった今、この瞬間を心から幸せと感じることが大事なのではなかろうか。
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