千万人と雖も吾往かん(せんまんにんといえども、われゆかん)
今読んでいるある本に書いてあった言葉だ。
本当は前段があって、つなげると、次のようになる。
・自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖も、吾往かん。
自反而縮 雖千萬人 吾往矣 -- 公孫丑章句 上
【読み】
みずからをかえりみてなおくんば、せんまんにんといえども、われゆかん。
【意味】
自分の心を振り返ってみたときに自分が正しければ、たとえ相手が千万人であっても私は敢然と進んでこれに当ろう。(以上、wikiquoteより引用)
(ある本とは、『がんより怖いがん治療(近藤誠著/小学館)』である。この中で、近藤先生が、自ら正しいと信じた道を歩もうとした件に、この孟子の言葉が書かれていた。この本に関しては、断酒から外れるので、書かないが、興味ある方は、ありふれた癌と言う病気について、世間の常識が全く間違っていることを思い知らされる良い本であるので、是非ご一読を!)
正に、断酒に於いても、千万人と雖も吾往かん、である。私以外の1000万人が飲んでいようと、1億人が飲んでいようと、私は自らを省みて、断酒が正しいと信じたので、飲まない。
酒を断ったばかりの人が、職場や友人との飲み会に出る前に、何と言って酒を断ろうか、とよく悩んでいる。そこには、酒を断ったことが何となく後ろめたいという感情が垣間見える。飲んでいる人の方が正しくて、断った自分は何だか間違っているような気分なのだろう。
大体、酒を飲むとか飲まないと言う事は、個人の自由であって、その場にいる多くの人が飲んでいるから、自分も飲まなきゃ、などと考える事自体がおかしな話である。
飲み会で酒を飲まない事によって浮いてしまうなら、敢えて飲まずに浮かれた振りをして、周りののんべー達と合わせてみたら面白い。私はそうしている。ばかばかしいけれど、たまには楽しいひと時となる。
酒を断って来月で二年になるが、私は、飲み会を苦痛とは感じなくなった。うまいものが食えて、ジュースが飲み放題だし。まー、断酒以来、飲みに誘われることが殆ど無くなったので、私が出るのは、年に数回の、どうしても断れない飲み会だけだが。
自分の考えにしっかりとした軸があれば、大丈夫だ。
千万人と雖も吾往かん!
正しいと信じた道なのだ。これで、行こう。
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