得魚忘筌(とくぎょぼうせん)
「荘子」にある言葉だ。
ブログとは関係ない作業で、国語の辞書を引いていた時に、本来の文字をタイプミスしたまま検索を掛けたら、たまたま出て来た。意味を読んで、え!と思った。この四字熟語は、初めてお目にかかった。
魚を得て筌を忘る(うおをえてせんをわする)...魚を捕まえることに成功すると、それに使った道具の筌のことなどは忘れてしまう。ここから意味を転じて、目的を達すると、それまでに役立ったものを忘れてしまうことのたとえ。(「筌」とは、魚を捕獲する為の、竹で編んだカゴ。)
別のサイトで意味を調べたら、
「本来の望みや目的がかなえられると、それに役だった手段や方法は忘れられることのたとえ。また、恩を受けても、それに報いないことのたとえ。また、学問を修めるのに、その表現・ことばにとらわれず、その内容をつかむことがたいせつであるということのたとえ。」
恐らく、良い意味で使うのだと思う。
例えば、何か良いものを作ろうとする時、かなり高度な技術が必要で、それを日々努力して身に付けつつ、制作に励む。師匠がいる場合は、技を盗んだり、指導を仰いだりする。けれども、一度その技術を自分のものとしてしまえば、もはや意識せずに良いものを作れるようになる。
人生を丸っきり変えたいと願う時、日々の修練や鍛錬を必要とする。変革を志した当初は辛くても、日々努力するうちに、いつの日か、成りたいと願った自分になることが出来る。そして、そこに到達した暁には、もはや毎日は辛くないということだろうか。
回りくどかったけれども、昨日に引き続き、元飲んだくれの、酒のいらないライフスタイルとは、「得魚忘筌」が理想形かな、と思ったもので、書いてみた。
最近断酒を決意して、実践に踏み切った方からコメントを頂いて、2年前の自分のことをまざまざと思い出した。丸で崖から飛び降りるような、一体、酒を断ってしまったら人生どうなるんだろうか、と言うくらい大袈裟な不安があった。
一気に酒なし生活が当たり前にはならないので、飲まない日を、一日一日地道に積み重ねるしかない、と言うのが本音だ。
医者に行く、断酒会やAAなどの自助の会に参加する、ブログを書く、などの他、ありとあらゆるやり方を工夫して、とにかく酒を飲まない生活を続ける。これしかない。
でも、1年、2年、と経つ内に、酒を断つために工夫したことなど、少しずつ忘れてしまうのは本当だ。私はもう、炭酸飲料は飲まないし、クエン酸水やらリンゴ酢も飲んではいない。
そう言う日が必ず来るので、一日一日、歯を食いしばってでも、酒を飲まない日を積み重ねよう!
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