今日のタイトルは、いきなり、漢字ばかりを並べて、ナニこれ?どういう意味?
と思われても、仕方がない。私も昨日まで知らず、今日知ったほやほやの言葉だ。禅語と言って、禅の世界で親しまれている。
ふらっと入った書店で、何気なく手に取った本をパラパラと見ていたら、目に飛び込んで来た。
雲去山嶺露
(くもさってさんれいあらわる)
厚い雲が遥かかなたを覆っていて、そこには一体何があるのか何も見えなかったが、雲がどこかへ消えてしまうと、そこに山々がくっきりとはっきりと出現した、と言う意味だそうだ。
仏教的な解説は、本来誰でも仏の本性を持っており、悟ることが出来るのだが、多くの人間は煩悩と言う厚い雲に覆われているから、何も見えない。しかし煩悩と言う分厚い雲が晴れれば、自分の中にある仏の本性がキラキラと輝く、と。
この禅語を、断酒に援用すると、毎日大量のアルコールを飲んで過ごしている生活は、暗雲垂れ込めて、山どころか、自分の周囲さえ何も見えない状態だ。だが、この飲酒三昧の厚い雲が晴れれば、くっきりと別の世界が見える、と解する。
一陣の風が吹き来たり、サーッと一気にこの飲酒雲を消し飛ばしてくれれば良いのだが、そんな便利な風は絶対に吹かない。
ただひたすら、一日一日、カタツムリのように、亀のように酒を断って歩む道しかない。日々、ほんの少しずつだが、自分で起こした微風が雲を少しずつ押しやり、視界が開けてくる。雲が薄くなってくる。
私の場合、1年でほぼ晴れ、2年で山々が裾野までくっきりと見えた。
この、酒に覆われた分厚い雲が晴れた世界を、是非とも多くの方に見てほしい。
それには、先ず、断つことが先決。手段はいろいろ。本人がその気になれば、周囲も協力してくれる。保健所や精神保健福祉センターにも相談の窓口はあるし、ASKとかAKKとか、AAとか断酒会とか、相談先は他にもある。専門の医療機関だって頼もしい存在だ。
たまたま私は独歩を選んだが、これもひとつのやり方に過ぎない。
雲が去って、山々がくっきりと見えたとき、今まで自分は何をしていたんだろう?と、つくづく過去を振り返ることになる。
けれど気を抜くと、飲酒雲はあっという間に戻ってきて、山々を隠してしまう。この辺り、アルコール依存症は、まことに恐ろしい。
(本日の素晴らしい山の写真2枚は、無料写真素材のpro.foto.ne.jpさんからお借りした)
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