やめた経緯は色々あれど...
飲みたい酒を、飲み続けたら、病気になって、もう飲んではいけないと医者に言われた。
又は、
飲みたい酒を、飲み続けたら、病気になって、もう飲まないぞ、と自分で決めた。
ここで言う「病気」は、先ずはアルコール依存症、その他、アルコールが原因となって発症する、ありとあらゆる病気を含む。
止めた経緯が、前者でも後者でも、どちらにしても、アルコール依存症という病気になると、唯一の対症療法は、酒を断つことである。これしかない。
さて、酒を飲めなくなったならば、もう一生酒を飲めないことを、《悲しい・哀しい・かなしい》と、多くの断酒者が嘆くようだ。そして、一生酒を飲まない生活を続けながらも、日々飲めない事を悲しんでいる。
《悲しい・哀しい・かなしい》果たして、それで良いのだろうか。
酒を断った当初から半年~1年くらいは、私も強がってはみたものの、悲しい気持ちがあったのは確かである。
今は、一生酒を飲まない選択をして、そのように生活していることが、自分の一番の幸せだと感じている。ここのところが腑に落ちるかどうかで、不飲酒生活の質、つまりQOL(クオリティ・オブ・ライフ)が随分と変わって来る。
何度も何度も書いて来て、我ながらしつこいと感じているが、理由はどうであれ、飲まないと決めた酒に、何故未練を残さなければならないのだろうか。この辺りが、私には分からない。
酒を飲まない生活を、悲しく寂しいことではなくて、全く正反対の、楽しく嬉しいことに自分で変えてやればいいではないか。
実際、酒つまりアルコール(エタノール)の害を調べれば調べるほど、飲まないほうが良い、寧ろ飲んではいけない飲み物だと言う事が分かる。インターネットでも、書籍でも、体験談でも、アルコールの害は山のように見つけることが出来る。
それら酒の害悪を、時間を掛けて自家薬籠中の物にしてしまうのだ。酒を嫌い、酒の害悪がすぐさま浮かぶようになれば、どんな酒でも、見ただけで吐き気を感じるようになる。そこまで徹底的に酒を嫌ってみたらどうだろうか。
私は強く思う。酒を断ち、一生酒を飲まない選択は、あらゆる酒害から自分を守ることが出来るのだから、大いに喜ぶべきであって、悲しむのはおかしな話だ。
断酒人は 断酒を 喜ぶべし 悲しむべからず
(だんしゅびとは だんしゅを よろこぶべし かなしむべからず) [by のみすけ]
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