昨日書いた『酒を捨てよ目を覚まそう(断酒2年36日目)』の続編。
酒を断って以来、日常生活の、ふとした瞬間に、人生の気付きが訪れるようになった。
今朝、皿洗い担当の私が、朝食&弁当のおかず作りに使われたフライパンを、左手にたわしを持ってゴシゴシ洗っていたら、
「器用だねぇ。左手でも力が入るの?」
と、弁当仕上げ中のかみさんに言われた。
のみすけ:「あれ、前にも話したよね。怪我の功名ってやつでさ...」
かみさん:「あー、骨折の話ね、中学時代の」
のみすけ:「そうそう」
話は私の純真無垢な(?)中学生時代に遡る。確か中学2年の初夏だったと記憶しているが、自転車で思い切り転んで、右手を骨折した。ギプスで固定され、2か月くらいは利き腕の右手は、その使用を封じられた。
いきなりのことで、私はその日から左手を使わざるを得なかった。日々当たり前に右手を使ってやっていたことを、全て左手でやるのだ。右手は胸前に三角巾でぶら下がっているだけ。
暑くなって来た頃で、手のひらから肘までのギプスの中が、痒くて困ったことを覚えている。割り箸とか、細い棒を差し込んで、掻いたものだ。
あの骨折から40年近く経つと言うのに、私は今でも、左手で、箸も使える、字も書ける、歯ブラシも持てる、尻も拭ける(笑)もちろん、右手ほど闊達には動かないが、不自由ない程度には使える。
あの骨折がなかったら、今のような左手使いは出来ない。左手がこのように使えるのは、今このトシになってみると、とても便利である。もちろん骨折などしたくないし、嫌なことだけれど、これぞ文字通り《怪我の功名》だった。
私の右耳も、中学時代、水泳の後に急性中耳炎を発症し、恐らく当時かかった耳鼻科の医者が藪だったのだろう、鼓膜穿孔したまま、治らなかった。それで、今も度々化膿し、音が聞こえない。
ただ、この障害があるので、私は、左耳で音がちゃんと聴こえることに日々感謝している。
もうひとつ、右目も似たような経験を中学の時にしていて、眼球に金属のトゲが刺さり、眼科で抜いてもらってから、両目とも2.0を誇っていたのに、右目だけかなり視力が落ちてしまった。いわゆるガチャ目になってしまった。今現在も、左目1.0、右目0.01くらいだ。
これも、メガネで矯正することにより、普通に見える。ちゃんと見えることに日々感謝している。
問題飲酒生活の反省はとても重要なことだが、あの日々を肥やしにして、今の飲まない暮らしの豊かさ、素晴らしさがある。
飲み過ぎて問題があった生活と、酒を飲まない快適な生活と、両方が分かるのは、過去の過飲酒生活があったからこそだと、考えている。
飲んだくれ時代を思い返すと、今の生活がこよなく快適であることを心底実感できる。
人生、何でも肥やしにして実り豊かに暮らすことが出来る。私には、これまでの人生の半分以上に及んだ、飲んだくれ問題飲酒時代が、今を生きるための、とても良い肥料になっている。
みなさんも、ご自分の、忌まわしい過去の飲んだくれ生活が、実は素晴らしい人生の肥やしになることに気付いてほしい。
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