相変わらず世の中は、アルコールでもってかき回されている。毎日のように、飲酒絡みのニュースが飛び込んで来る。
今日も、泥酔した中学校の先生の記事が出ていた。飲み会で泥酔した若手の先生を、ベテランの教頭先生がアパートまで連れて行ったのだが、部屋を間違えて、他人の部屋に送り届けてしまい、不法侵入で逮捕されたそうだ。
酒を口に運ぶ全ての人が、ほろ酔い程度で済んでいれば、世の中は平和だろう。飲酒者の中でも多くの人々は、ほど良いところで切り上げて、今宵の晩酌を終わらせるわけだが、一部の飲酒者は、ほろ酔いで終わらない。
ほろ酔いから泥酔への歯止めは、飲酒者本人が掛けなければならない。ここに、ある一部の人には節酒が出来ないポイントがある。歯止めが効かないのである。
もっと言うと、飲酒の量が、どこまで良くて、どこからいけないのか、分からない。飲みだしたら、ほろ酔い程度では満足できない。気付いたら、ブラックアウトしていた。これが、私の繰り返した飲酒パターンだった。
自分以外の誰かが、「はい!これまで!」と、もし歯止めを掛けてくれたとしても、それは無意味なことで、収まりがつくわけがない。脳内のストッパーとリミッターが外れているので、車で表現するなら、どんどんガソリン(酒)を入れながら、アクセルをべた踏みして(大いに酔い)、スピードを出し続けて(大量に飲み続ける)、その内にどこかへ衝突して、停止する(ブラックアウト)ようなものだ。
つまり、飲みだしてしまえば、泥酔への歯止めが効かない。これに対処するには、《断酒》以外にないわけである。
《断酒》には、何か、こう、外科手術のような響きがある。重い処置なので、出来ればやりたくない、のが問題飲酒を認識している人の本音かもしれない。飲酒再開の可能性を残す《禁酒》のほうが緩い感じがする。
最初は躊躇しても、慣れてしまえば、《断酒》はとてもシンプルで、爽やかな世界を演出してくれる。慣れるまでかなり時間がかかるが、自分の生活の一部になると、酒絡みの一切の苦痛から解放され、毎日を穏やかに送ることが出来る。
数ある中でも、たったひとつだけ断酒して良かったことを挙げるなら、私は、この2年と2か月の間、一度も二日酔いが無いこと、かな。前夜のことを、毎朝きちんと思い出しながら起きている。
朝から不快で動けず、吐き気と頭痛に悩まされる日が、ゼロ。これだけでも、《断酒》生活バンザイ!である。
(先日歩いた時の、青空に映える茶畑の写真があったので、追加してみた。)
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