若い頃(生まれてから、2~30代までか?)、時の経過は自分の《成長》だったが、この年になると、それは《老化》である。
人間は死ぬまで成長するし、心の持ちようで、いつまでも青春なのだ、との考え方はもちろん、素晴らしいと思うし、これからもそれで生きて行きたい。が、それは飽くまでも精神論であって、肉体は容赦なく衰えて行く。
無理やり、若い頃の過剰な飲酒を正当化するなら、私の《成長》にとって、ある意味で肥やしになったのかもしれない。酒の席での出逢いが、その後の人生の方向を決めたこともあった。尤も、失敗の方が多かったが、美化して表現するなら、それさえ、経験と言う宝ものとして心に残った。
しかし、アラフィフおやじになってみると、《老化》する肉体への、大量のアルコール投入は、「劣化と言う火に、油を注ぐこと」以外の何ものでもない。ただでさえ、五臓六腑は衰え、若い頃と同じ働きは期待できない。アルコールは、身体にとって負担であり、決して栄養にはならない。
麻酔効果によって偽の快楽に酔うのは、脳だけである。それも、心地良いのはほろ酔い程度までで、それを越えたら、いつもの悪夢が待っている。これは自明のことなのに、たった今すぐに酔いたいと言う刹那的な享楽を優先し、飲んでしまうこともあるようだ。
断酒を継続するのは、生半可な事ではない。だから、スリップして中断して自己嫌悪に陥って、また断酒を始める人は素晴らしい。私もスリップしたら、また断酒をやり直すと思う。
その前に、最近の私は、自分の体力・気力・体調が、もう飲酒には向いていないと感じている。恐らく、酒を飲めば、昔より早く酔いが回り、しかも翌日の回復は遅く、身体へのダメージが大きいのが分かる。
今飲酒すれば、老化しつつある肉体が、アルコールによって悲鳴を上げることになる。
酒を飲みたい気持ちは、今現在はゼロである。今までは《ほぼ》 ゼロと書いて来たが、もう《ほぼ》でなくて、本当にゼロである。
最近は、一日が終わり、布団に横になるのがとても気持ちがいい。良く眠れるし、起きたい時間にさっと目覚める。 寝起きも、とても良い。
断酒後、毎朝、前夜を思い出すのが習慣になっている。家族と何を話して、何時ごろ横になったのか、はっきりと頭に浮かぶのが、嬉しい。
(近所に、大事に育てられている薔薇がある。去年も撮影してブログに載せた。今年も!)
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