『一志不退(いっしふたい)』
禅語である。曹洞宗開祖、道元の言葉だ。
断酒を一種の修行と考えて、色んな本を読んでいる中で、今日読み終えた本。
『怒らない禅の作法(桝野俊明 著/河出書房新社)』
これに書いてあった。
意味は、志を一度立てたら、決して退かず進み続けること。志とともに歩き続ければ、必ず道は開かれると、道元禅師は説いているそうだ。
実際のところ、こと断酒については、あまり自分を追い込むのは、良くない面もある。ただそれは、人によるとも思う。私の場合は、自分を追い込んだ。不退転の決意というやつだ。
私が思ったのは、自分の人生で、ひとつくらい自らの意志で断ってもいいではないか、しかも、断つ対象の酒は、自分にとっての「毒」なのである、と言うことだった。
もちろんこの考え方は、飽くまでも私のものなので、万人向けではないはずだ。これから断酒を志す方は、ご自分の性格に合ったやり方、考え方を工夫してみてほしい。
以前から何度も書いているけれど、年齢・性別・仕事・家庭・アルコールとの関わり方など、人それぞれ違うのだから、断酒するにしても、医者へ行く、自助の会(断酒会・AA)に参加する、その他色々な道がある。
私はこれからも、一志不退で歩み続ける。
ところでこの本は、どうしたら怒らないで生活できるか、禅からの答えが書いてある。
例えば、「頭に来たら一呼吸置く」と言う章では、著者の尊敬する板橋興宗禅師は、著者の知る限り、全く怒ったところを見たことがないそうだ。どうしたら、そのようにいつも怒らず穏やかにいられるのですか?と問うたところ...
頭に来ることがあったら、お腹で呼吸をしながら、「ありがとさん、ありがとさん、ありがとさん」と、三回繰り返しているのだ。
...と教えて下さったそうだ。
繰り返す言葉は「大丈夫」「我慢」「ちょっと待て」など、何でもいいが、お腹で呼吸をして、頭に怒りを上げないことが大切なのだそうだ。
私は、板橋興宗禅師の真似をして、お腹で呼吸をしながら「ありがとさん」を三回唱えることにした。早速、夕方やってみたが、効果覿面だった!何だか怒りがバカバカしく思えたから不思議だ。
他にも、この本に書いてある禅語を、いくつか紹介してみよう。
『明珠在掌(みょうじゅたなごころにあり)』
わざわざ遠くを探さなくても、宝物は、あなたの手の中にある。宝物とは、仏性のことらしいが、幸せ、でも同じではないだろうか。酒を飲んで酔うことは、快感かもしれないが、幸せではないだろう。幸せに、酒など必要ない。
『任運自在(にんぬんじざい)』
自らの力が及ばない状況にある時には、ただそれを味わえば良い。酒をやめて苦しい時期は、その苦しさを味わうしかない。今日一日だけと思って、自分がなぜ酒を断ったのか良く考えて、飲みたい苦しさを味わうのだ。
『啐啄同時(そったくどうじ)』
雛が卵から孵るとき、内側から殻をつつくと、その音を聞いて親鳥が外側からつついて、雛が出やすくしてあげることから、ある物事のタイミングがピタリと合うこと。これは、例えば、まさに酒をやめようとしている方が、このブログを読んで下さって、それをきっかけに断酒の日々に突入したら、啐啄同時と言えるかもしれないな。
断酒は、禅の教えが妙にしっくりくる。飲みたくなったら、喝!と言いながら、警策をバシッと入れてもらうと良いような感じもする。けれど、禅寺にいるわけではないから、自分でほっぺでも叩くしかないかな(笑)
ブログを始めて3度目の夏を迎えるが、 この夏は、コメントを下さる断酒仲間の方が一番多い。とても嬉しい。
もうひとつ、ブログ読者の「とりあえず禁酒」のむらちゃんが、「断酒」に踏み切って下さったことが、今日の一番の喜び!
↓↓↓むらちゃんの断酒の決意が書かれていて、感動!
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