《酒》の前に《飲》が付くのか、《断》が付くのか、意識しないのか、その人の酒へのスタンス。
もちろん、元々飲む習慣を持たない人は、《酒》の前に付くのは、《不飲》だ。このタイプの人は、酒に関して悩むことがない。
広い川幅の両岸で、片や飲酒する人の岸、こなた飲まない人の岸。断ちたい人は、エイヤッ!ドボーン!と飛び込んで、飲まない人のいる対岸へと泳ぎ出すイメージ。これ、昔ブログに書いたような気がするな...やっぱり書いてた。
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2013年10月17日『断酒の妙味(断酒217日目) 』
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それと、私が気付いた妙味というのは、コメントにも書いたのだけれど、大きな川の対岸とこちら岸に例えてみる。対岸には、酒を飲んでいる人・やめたけど酒に未練がある人がいる。自分のいるこちらの岸には、酒を飲まない人・やめて酒などに未練がない人がいる。
で、自分は、対岸から泳いできて、少し流されたけど、なんとかこっち岸に辿りついた。向こう岸を見ると、おやおや、賑やかに酒盛りしてるなー、とか、おー、アブねーなー、酔っぱらいがフラフラ落ちそうだな、なんて、過去の自分を滑稽に見るわけ。
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酒を飲まない生活のほうが良い。このシンプルな事実が分かり、実際に日々飲まないでいられるようになれるかどうか。このブログにコメントを下さる断酒仲間の人も、私も、勇気を出して飛び込んで、流されながらも泳いで対岸へ辿り着いたからこそ、今の生活がある。
先ず、自分の今のダラダラの飲酒生活が良くないことに気付いて、対岸の酒のない生活が視界に入るかどうか。そして、対岸へ渡りたいかどうか。実際に行動するかどうか。これが、新たな世界への一歩となる。
飲と断の谷間と言うのは、このように川で例えると分かりやすいのだが、本当のところは、鯉の滝登りかもしれない。登るのは大変なのだが、落ちるのはいともたやすい。これも、過去に書いていた。
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2013年6月12日『やっと到達!(断酒90日目)』
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ひとつ、ここは、その昔甲斐の国・恵林寺で、織田方に攻め寄られるとも、その要求を拒み、焼き討ちに合い、弟子の僧達と共に焼死したという、快川紹喜和尚の言葉で締めくくろう。
『滝のぼる 鯉の心は 張り弓の 緩めば落つる 元の川瀬に』
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断酒初年度の2年前の日々のブログは、今読み返しても、鬼気迫るものがある。連日、良くもこれだけ書いていたな、と思う。今より気合が入っていたようだ。自分で読んでも、内容に凄味がある(笑)
飲と断の谷間は、《飲→断》の方向では途轍もなく深いのだが、《断→飲》では、あっさりと一跨(ひとまた)ぎなのだ。この辺り、気を引き締めてかかろう。
話変わって、お知らせ!
Happy!《読者通信》、今日は1号、2号、3号が発行されました!いきなり、新記録!
さて、どなたからの通信か、お楽しみに!
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