旅を始めた人が数年後、出発地を振り返るように、私も2年半前を振り返ってみた。
断つと決めた日から始まった、酒を断つひとり旅。酒からの逸脱。己の分離。
(今日のタイトルは、「逸脱(いつだつ)」と「いつだって」のダジャレにしてみたんだけれど、気付いた人は、凄い!?)
出発当初はたったひとりで、かなり心細かったが、ブログのお蔭で、一緒に旅をして下さる人が一人、二人と増えて来て、今や何人一緒に旅をしているのだろう。10人?20人?30人?もしかして100人くらい!?
もうひとつの選択肢として、あの時、酒を断たない道を選んでいたら、もちろんあのまま飲み続けて、酒と一緒のふたり旅を今もしていたことだろう...けれど...
いつも酒と一緒!?考えたくないな!
常々書いていることだし、飲まない人には当たり前のことだが、私にとっては特筆すべきこと、それは、この2年半、記憶が連続していること。飲まないから当然だが、一度も二日酔いによる気分不快な日が無いこと。泥酔による失言や失態が無いこと。
この、断つか断たぬかの岐路に立った時、逡巡してはいけない。スパッと決めたほうが良い。何と言っても、これまでずっと一緒だった酒と別れるのだから、後ろ髪を引かれる思いが半端ではなく強いだろう。だからこそ、スパッと、ネ。
ただ、感情的に物事を進めるのは、簡単だが土台が弱すぎる。『禁酒セラピー』やアルコール依存関連の本を数冊は読んで、ある程度理論武装しておかないと、すぐに心の中の小悪魔に負けてしまう。
酒にコントロールされている時は、飲酒が本筋であり、決められた枠であり、ルールだろう。逸脱とは、本筋や決められた枠から外れること、ルールから外れた望ましくない行動を言う。
人間をして酒の支配下に置いている小悪魔からすれば、私たち断酒者の、飲酒からの逸脱は、ルールから外れた望ましくない行動に映る。本線に引き戻そうとするのが、激しい飲酒欲求なのだろう。
でも、もう、飲酒の本線には、戻らないもんネ!わははは!
(今日の2枚の写真は、あの伊能忠敬翁である。50歳を過ぎて隠居してから本格的に天文を学び、日本全国を歩いて測量し、地図を完成させた。
先日行った、門前仲町の富岡八幡宮にて撮影。)
50歳を過ぎてから、飲酒の怖さを学び、断酒することだって、ひとつの事業だ!
とっても小さいけど(笑)
でも、断酒する人が増えれば、酒害が減って、社会的には継続する大きな事業になってゆく。
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